夫婦交代で家事分担、残業・休日出勤もこなす

 「改めて30年間を振り返ると、入社以来5年区切りで仕事がワンランク上がり、私生活も変わっていきました」と本田さん。

 1年目から5年目までは、「建築設計を覚えるのに必死で分からないことばかり。しかし楽しくて、猛烈に働いて、仕事がたくさんあり、残業も当たり前でした。週のほとんどが終電で帰宅、休日出勤もありました。でもやりたいから、楽しいから続いていたんです」と本田さんは振り返ります。

 その後、社内結婚。夫は同じ部署で後ろの席だった同じ設計部、同じ年齢の男性。「子どもができたら働き方は考えなければいけないかもしれないと思っていたので、子どもができるまでに現場に出て経験を積みたいと思い、現場監理に移籍させてもらうなど積極的に働きました」(本田さん)

 次の5年間に、現在までライフワークのように追い続けている「病院設計」のやりがいにはまっていったのだそうです。「“個室的4床”という試みを追い続けていました。通常の4床病室は、窓際に2人、廊下側に2人の構成。これを4人の療養環境を高めるためにすべての人に窓のある空間にするという試みです。設計するたびに少しずつ違うことを考えてそれが実現するという面白さに目覚めました」(本田さん)

 この時期にスキルを磨き、同時に1人目のお子さんを出産。さらに設計主管になった15年目までに2人目のお子さんも出産し、それぞれ育児休業を1年間ずつ取得。しかしどちらも基本的に復帰後の働き方は変えず、キャリアを積み重ねていきました。

 「長女のときは24時間の無認可保育所を利用して夜9~10時くらいに迎えに行く。次女が生まれてからは、長女は放課後保育のある幼稚園へ、次女は認可保育園と夕方からの無認可保育所の二重保育で預けて、夜に迎えに行きます。これを夫婦交代で行えば、迎えに行かない日は終電まで働くことができるのです。つまり、週の半分は終電まで働いたり、締め切り間際に夜中の2時まで働いたりすることもできました」と本田さんは話します。休日出勤が必要なら夫婦交代で、またはお子さんを連れて出勤していたのだそうです。

 「家事分担は、夫が食、私が衣と住、子どものもろもろのことの担当と、自然と役割分担ができました。家事は週末に集中して、夫は買い物に行って1週間分のおかずを作り置き、私は掃除や洗濯という感じです」(本田さん)

 本田さんが最も多忙を極めたのは16~20年目。主管として独り立ちし、神戸市立医療センターをはじめ、大規模病院のプロジェクトが多く進行していました。この時期は、お子さんは小学校と幼稚園。「ベビーシッターを頼み、夫婦で遅番、早番を決めて、どちらかが早く帰り、遅番の日は終電まで働きました」と本田さん。その後、キャリアを積み重ねていくと同時にお子さんも自分のペースで過ごすようになったそうです。

 「休日出勤のときにも、留守番しているなどと言ってついてこなくなり、ベビーシッターも次女が小学校高学年で終了。仕事でも、プロジェクトを仕切る立場になっていました」と振り返ります。

 そして2015年に設計部長に。組織の中で活躍していく強みは、「コミュニケーション力と聞く力、オープンマインド」と本田さん。設計の中でも難易度が高いとされる病院は専門家集団が働くところで、意見はまちまち。それぞれの意見を徹底的に聞いて、本質を探り、全体最適解を示すと納得してくれるといいます。さらに、仕事をする上で隠し事は一切しないことだそうです。