「本当の意味で」たくさんの人、たくさんの現象を知ろう

 いわゆる“意識が高い”と言われている人たち――平たく言ってしまえば、インターネットや独自のネットワークを通じていち早く情報をキャッチし、世の中の動きに敏感な人たちについて、私は時折こういう表現をすることがあります。

 「バングラデシュの貧困には共感を覚えるけれども、大阪のあいりん地区の貧困は想像できない」。

 つまり、メディアで取り上げられて世界的な話題になっている現象や、自分の周囲の切り取られたコミュニティで交わされる話題には関心を寄せていて、問題意識も持っているのに、同じ国で起きている足元の日常には、同様の問題が含まれていたとしても目がいかない、ということを喩えています。これではどれほどメディアの話題に敏感でも、たくさんの人、たくさんの現象を知っているとは言えません。

 こういうことは、「自分たちがスタンダードだ」と思い込んでいるから起きるのだと思っています。「自分たちはメディアに詳しい」「そこで話題になっていることは、自分たちのごく身近なところで起こっていることより、重要だ」。そういう思い込みが、足元の日常への無知、無関心を呼ぶのだと思います。

 本当の意味でたくさんの人、たくさんの現象を知っていれば、その渦中にいる人たちが何に困って、何を求めているのかが見えてきます。そこで、自分たちが社会に生み出すべきモノやサービスも自然と見えてくるものだと思うのです。