家事や育児の外注が当たり前の海外生活

――ベトナムにいる時に、育児と家事以外に何かされましたか?

 「子どもを幼稚園に預けている間、語学学校に通いました。せっかくだから、帰国後の仕事に生かせるスキルを身に付けようと思ったんです。日本にいる時はTOEICが750点ほどだったのですが、ベトナムで英語を勉強してからは100点以上上がりました。『履歴書で少しアピールできるかな』と期待しましたが、世の中ではバイリンガル、トリリンガルの人が山ほどいるようで……850点程度ではあまりアピールになりませんでした。振り返ってみると、産休・育休の期間をベトナムで過ごしたという印象です」

――お子さんは、ベトナムで育っていかがでしたか?

 「『親の都合で環境がいろいろ変わってかわいそう』という意見もあるかもしれませんが、本人たちにとっては大きな財産になったと思います。治安と衛生面の非常に悪い国でなければ、子どもと一緒に海外体験することをオススメしたいですね。ただ、私たちが住んだ近くの国では子どもが誘拐されやすく、一度誘拐されたら二度と戻ってこないという怖い噂も聞きました。私たちの居住区域は安全でしたが、スーパーでも公園でも全く目を離せない緊張感は続いていたように思います。

 また、家事や育児を『母親がやるべきだ』と思っているのは、日本人くらいだということを実感しました。どの国の人も、ベビーシッターやメイドをフル活用し、食事は基本外食。『育児・炊事・家事のうち、どれかは必ず外注』というのが当たり前なんです。だから、自分の自由時間をしっかり確保できる。この価値観が当たり前になれば、女性の社会進出は進むなと感じました。日本ではまだ、どれか一つでも外注したら、『母親なのに手を抜いてる』なんて言う人がいますから……」

――専業主婦になると、収入がなくなります。その点についてはいかがでしたか。

 「夫からは『クレジットカードを自由に使っていいよ』とは言われていましたが、気が引けてしまい、自由に使えませんでした。買い物好きだったので、『自分の収入が欲しいな』と思いましたね。例えば、自分の親へのプレゼントやベトナムに来るための交通費も気軽に使うことができないのは苦痛でした。実は、独身時代は好きなものを好きなだけ買っていたため、貯金がゼロだったんです。一度自分の収入がない状態を味わって、節約や貯金を意識できるようになったことはよかったと思います」

専業主婦色を感じさせない工夫

――他に、専業主婦時代に気を付けていたことはありましたか。

 「ある程度の美意識を持ち続けることは意識していました。ネイルと美容室とまつげパーマだけは定期的に行き、お肌の保湿を心掛けるくらいですが……。

 帰国後は必ず仕事に復帰するつもりだったので、各国のトレンドやニュースなどの情報収集は続けていました。これは私の個人的な意見ですが、再就職の面接で、家庭の雰囲気が漂う女性と仕事現役感のあるピリッとした女性では、後者が採用されるのではないかと思ったんです。仕事の種類にもよると思いますが、ある意味『専業主婦色を感じさせない』ことは、今後仕事をする上で大切だと思っています」

――日本に帰って、再就職、そしてお子さんの保活は、いかがでしたか?

 「待機児童問題に直面しました。完全に日本に引っ越す前に、ベトナムから日本の区役所に何度も電話をして保育園についての相談をしました。

 本当はバリバリ働きたかったのですが、じっくり就職活動をしていると保育園に入れないので、『取りあえず、すぐ仕事ができるかどうか』に重点を置きました。子どもが日本の生活に慣れるためにいきなりフルタイムで働くのは厳しそうなので、短時間勤務の仕事を探しました。試しに派遣会社に登録したら、翌日に電話がかかってきて会社を紹介され、翌週に採用されました。すごくスピーディーで驚きました!」

――まずは、仕事をセーブして、生活を整える時期でもあったのですね。

 「はい、そうです。子どもたちの生活を安定させることを最優先にしました。土地勘のある業界のメーカーで、派遣社員・時短勤務の事務職を選びました。子どもたちはやはり精神的にしばらく不安定でしたし、下の子は初めての集団生活で、発熱のオンパレードだったので、比較的休みを取りやすい勤務形態で本当によかったと思います」

土地勘のある業界で、まずは派遣社員・時短勤務の事務職から始めました 画像はイメージ (C)PIXTA
土地勘のある業界で、まずは派遣社員・時短勤務の事務職から始めました 画像はイメージ (C)PIXTA