スペシャルティ・ケーキとの出合いは母がきっかけ

 スペシャルティ・ケーキの原体験は、子どもの頃に母が作ってくれたケーキです。母もアメリカに留学経験があって、日本にはないパーティー文化や、母親が子どものキャラクターに合わせてバースデーケーキを手作りすることを面白いと思ったようです。

 スペシャルティ・ケーキという言葉はたぶん知らなかったと思いますが、アメリカで毎年発売されている「ウィルトン イヤーブック」という家庭向けのケーキデコレーションの本を手に入れて、レシピを見ながら毎年違うケーキを作ってくれました。

鈴木さんの目標は「日本でスペシャルティ・ケーキの文化を広めること」
鈴木さんの目標は「日本でスペシャルティ・ケーキの文化を広めること」

 例えば、8歳のときは丸をくりぬいて二つつなげて「8」を表したデザインでした。ディズニー映画に出てくるような、すごく小さな3段ケーキを作ってくれたこともあります。色もカラフルで、友達の誕生パーティーで見るものとは全然違いました。

 私自身も中学2年生の頃からケーキを作り始めました。元々ものづくりが好きで、母のイヤーブックの写真を見ているうちに「ケーキもアートなんだ」と興味を持ったんです。初めて作ったのはハロウィーンのとき。オレンジや紫のカラフルなカップケーキを学校に持って行ったらみんなすごく喜んでくれて、それがうれしくて。すっかりはまりました。

ケーキ作りが自分のキャリアと結びついた瞬間

 そんなケーキ作りがビジネスとして成り立つものだと知ったのは、大学時代に友人が住むアメリカのボストンに遊びに行ったときです。アメリカには何百万円もするウエディングケーキを作るデザイナーがいて、テレビではスペシャルティ・ケーキを紹介する番組がいくつもありました。日本人はかわいいものがすごく好きだし、需要はきっとあるだろうと思ったんです。

 大学をやめてニューヨークの製菓学校に入学し、フランスなど世界中の調理法と、ケーキデザインの技術を学びました。ただ、アメリカのデザインケーキは正直に言って味よりもデザイン重視。日本でやるなら日本人の舌に合う、食べてもおいしいものにしないとダメだと思いました。

製菓学校の卒業祝いに両親から贈られたケーキナイフとケース。ケースは手作りで、鈴木さんの子どもの頃の洋服をリメイクしたものだそう
製菓学校の卒業祝いに両親から贈られたケーキナイフとケース。ケースは手作りで、鈴木さんの子どもの頃の洋服をリメイクしたものだそう