仕事の仲間に母の闘病について打ち明けなかった理由

――職場で一緒に番組制作をしている皆さんには、事情を伝えていたのでしょうか?

 いえ、番組のスタッフや共演者には、ほとんど話すことができませんでした。その頃の私は、母ががんだと知られずに仕事をしていたかったのです。回復の見込みがない病状を口にすること自体がつらかったし、事情を打ち明けられた人だって、どう声を掛けていいか分からないだろう。そんな心境でしたね。

 ただし、これはあくまで私がそうだったというだけであって、つらい状況を隠すことが美徳だとは思いません。もしも周囲に伝えるほうが仕事がうまく回るなら、私もそうしたと思います。この頃の私はとにかく「深層NEWS」の初代メインキャスターとしての力量不足にもがいていたので、看病と両立していると同僚に打ち明けることが、「仕事ができない理由」を家族の事情に置き換えてしまうようで嫌だったのです。こういうところに、変な負けん気が出てしまうのですね。

 それに、事情をなにも知らない人ばかりがいる環境に身を置いて仕事をすることが、私にとっての救いにもなっていました。気を使われ、配慮されたいとも思いませんでしたし、遠慮なくいただく指摘や指導を乗り越えて放送に臨むほうが、私はよかったのです。

「あの時の私は、周囲に打ち明けずに仕事をするほうが良かったんです」
「あの時の私は、周囲に打ち明けずに仕事をするほうが良かったんです」

――あえて職場では気持ちを切り替えて仕事に打ち込める環境を維持したということですね。

 というより、看病をしているという事情に関係なく、プロとしての仕事をやり切りたい気持ちが強かったのだと思います。そして時々、放送を見た事情を知らない友人から「美穂ちゃん、今日の番組、見たよ。面白かったよ」と言ってもらえる。それだけで「頑張ってよかった」と思えました。

 どうしても看病でのつらい気持ちを吐き出したくなったときには、元気だった頃の母の姿を知っている同僚にメールで打ち明けていました。

 その同僚はワシントン赴任中だったため、直接お見舞いに来ることはありません。つらい思いだけを聞いてもらったり、母が意識がある時に「病室でこんな冗談を言ったんだよ」とメールに書いて「お母さんらしいね」と返してもらうことで、私は少しラクになっていました。

職場で事情を分かってくれる人は、誰か一人でもいい

 がんと闘う人がこれだけ多い時代ですから、このコラムを読んでくださっている方の中にも、親の介護、看病と向き合っている方はいらっしゃると思います。あるいは、周りで働く上司や同僚、部下の方が、実は苦悩を悟られまいと歯を食いしばって、ギリギリのところで働いているのかもしれません。想像力を働かせて周りの人と接することが大切なのだと、改めて感じています。

――なるほど。当時の経験が、小西さんが仲間に向けて働かせる想像力も高めているのですね。職場にあえて告げない、という方法を選んでいる人も確かに少なくないかもしれません。

 ただし、緊急の状況に備えるためにも、誰か一人には事情を説明しておくほうがいいと思います。

 私の場合も、直属の上司である部長にだけは事情を伝えていました。この上司は、番組制作の現場には直接関わりませんが、欠員が出たときの采配にすぐ動いてくださる立場の方です。

 母が亡くなったという知らせを聞いた日、私は翌日も番組に出演する予定でしたが、一晩眠ることができなかったんです。その部長に母の死を伝えたところ、「出演しなくていい」という判断が返ってきました。「こういう時のために前々から話を聞いていたんだから。人繰りはなんとかするから、行ってきなさい」と。彼の配慮によって、私は神戸に向かい、母を見送ることができました。

 これから看病や介護を経験するかもしれない皆さんに伝えられることは、職場の中で事情を理解してくれる人に話をしておくことも大切だ、ということです。先に書いたように、全員に打ち明ける必要はありません。けれど、いざというときに人員補充の「キュー出し」ができる立場の人には、一人だけでいいので事情を説明しておくといいと思います。直属の上司が理想ですが、どうしても話をしにくい場合は、近い部署の関係者でもいいのではないでしょうか。本当に余裕がない時は、なかなか気が回らなくなりますが、私は結果的に、大いに救われました。

――平常心を保ちにくい事情を抱えているときでも、仕事に向き合い続けるためのアドバイスはありますか?

 私の場合は、「料理」が役立ちました。

――料理? 意外なお答えですね。

 一向に回復の兆しが見えない母の看病を続けながら、仕事もうまくいかないことの連続で心がすさみかけていた日常の中で、気持ちをリセットさせるルーティンになっていた時間。それが、料理だったのです。