「news every.」に出演中の日本テレビ解説委員の小西美穂さん。記者としての実績を重ね、海外特派員も経験。帰国後も政治部記者として仕事にまい進していた矢先、35歳で全く未経験のキャスター職に抜てきされる。「私には無理。でも、まだ見ぬ世界に挑戦したい」――そうして、日テレのニュース番組として初の討論コーナーの司会としてキャスターデビューをしたのだが……。


実は、小西さんが初めてキャスターデビューした翌朝に、想定していなかった出来事が…
実は、小西さんが初めてキャスターデビューした翌朝に、想定していなかった出来事が…

――キャスターデビューをした翌朝、一体、何が起きたのですか?

 前回の記事「『私には無理』と答えたキャスター職を引き受けた理由」でもお話しした通り、抜てきしてくれた当時の部長、中山良夫さんと構成作家の藤田亨さんから「素の自分でやっていけばいいから。大丈夫、大丈夫」という言葉を真に受け、オンエアでもその通りに、どんな相手だろうと、ズバズバ切り返し、素直な質問をぶつけていったんです。

 放送の翌朝、私は報道フロアの自分のパソコンに向かって、何気なく「視聴者メール」というフォルダをクリックしてみて、一瞬硬直しました(※当時は、視聴者からのメールの反響が司会の私も見られるようになっていました)。

 開けても開けても抗議のメール。すべて、私に関するものでした。「小西美穂とは何者だ」「政治家の話に途中で割って入るなど、非礼だ」「日テレの社員なのか」「なぜ関西弁なのか」、「芸人か」など、それはもうたくさん。

――そんなに批判が殺到したとは。

 無名で若い女性、しかも関西弁だった私は、視聴者にとっても「新し過ぎる存在」だったのだと思います。表情を伴わないメールの字面って、グサリグサリと容赦がないんです。批判の洪水にのまれ、涙で画面がにじみかけ、耐えられずに席を立ちました。

 フロアの隅で電話をかけた相手は、キャスターの大先輩である辛坊治郎さんでした。「辛坊さん、視聴者からこんなに厳しい声ばかり届いています。それも、家族や友人にも言われたことがないくらいのきつい言葉で……」。電話の向こうの辛坊さんから返ってきた声は、ひたすら明るいものでした。

 「それな、勲章やで!」

 え? 勲章? 意味が分かりませんでした。辛坊さんは続けます。「わざわざ批判を言いたくなるということは、視聴者の心に引っ掛かったということや。当たり障りのない番組には批判すら来んもんよ。それに、クレームを言ってくるのは全体の1~2割のもんで、残りの8~9割は『まあまあ、ええのと違うか』と思ってはるんや。たくさんの人が君のことを応援、賛同していると思っていい」

 折れかけていた私の心に、辛坊さんの言葉はじわーっと染みました。