「小西、興味があるならマネジャーになってよ」と言われたものの、内心「うーん、マネジャーなぁ。どうせやるなら選手としてやりたいなぁ」と返事をしあぐねていた時に、後に顧問となる先生から「女子のラクロスをやりませんか」と言われ、二つ返事で「はい、やってみたいです!」と答えました。

 早速、紹介された他大学の先生の研究室を訪ねて、アメリカの試合ビデオを借りて持ち帰り、その足で関学の研究室のテレビで再生したことをきのうのことのように思い出します。

 画面に映ったのは、とても新鮮な光景でした。白いポロシャツに赤いタータンチェックというかわいらしいユニフォームをまとった選手が、グラウンドを走り抜け、ジャンプし、まるで蝶のように舞いながら、豪快にクロスを振り、汗を流している姿。

 「こんな競技、見たことない! 私、絶対にこれをやる!」と火が付いたんです。

――とはいえ、その頃は大学にサークルもない状態からのスタートだったんですよね?

 はい。たった一人からのチャレンジでした。

たった一人のチャレンジで、ラクロスを始めた小西さん。写真は、第1回ラクロス全日本選手権に出場したとき(小西さん提供)
たった一人のチャレンジで、ラクロスを始めた小西さん。写真は、第1回ラクロス全日本選手権に出場したとき(小西さん提供)

メンバーも練習法も練習場所も「ないない尽くし」

 女子ラクロスはチーム12人制のスポーツですので、メンバーがいなければ成り立ちません。手当たり次第に友達や知り合いを誘いました。当初、練習に来てくれたのは、クラスの席順が近かった「か行」の苗字の子ばかり(笑)。やっと3人集まっても、練習方法が分からずに、取りあえずキャッチボール。競技具も日本にないので輸入して取り寄せるしかありませんでした。

 正式なルールも練習法も分からない。このままじゃつまらなくて、貴重な部員が辞めてしまうと危惧した私は、夜行バスで東京まで向かって、既に練習法を確立していた大学を回って、情報を聞き取り、メモを取って持ち帰りました。思えば、これが私の取材初体験だったかも。

――関学の女子ラクロス部は今でも全国大会で優勝争いをする強豪として知られているそうですが、当時は練習をする環境すら整っていなかったと。

 はい。もう、ないない尽くしでした!