いまの日本で求められる「活私開公」とは

 『公共哲学』とは、自分と社会をいかに繋ぐか、本質に遡って考える学問です。従来は「滅私奉公(めっしほうこう)」が声高に叫ばれましたが、現代社会では、自分を押し殺してまで社会のために尽くすという発想は、なかなか受け入れられません。

 そこで登場したのが、自分を活かしつつ社会に貢献するという、「活私開公(かっしかいこう)」の概念です。つまり、私を活かして公けを開くということです。

 問題は、忙しい日常の中で行動を起こせるかどうかです。この点、元祖公共哲学者ともいうべきハンナ・アーレントは、『人間の条件』の中で、人間の営みを労働(レイバー)、仕事(ワーク)、活動(アクション)の三つに分けて解説しています。労働とは、家事など生活に不可欠な営み、仕事とは何かを製作する営み、そして活動とは、社会に関わることを指します。アーレントによると、この三つがそろってはじめてバランスの取れた日常を過ごせるわけです。このように活動を生活の一部にしてしまえば、無理なく行動を起こせるはずです。

ハンナ・アーレント(1906年-1975年)。ユダヤ系の女性現代思想家で、アメリカに亡命して活躍した。全体主義の分析で有名。公共哲学の草分け的存在とされる。著書に「全体主義の起源」「人間の条件」等。

 社会にかかわるためには、当然人々が交流し、共に活動する場が必要になってきます。「ニュー・シネマ・パラダイス」の中では、それが映画館であり、広場だったのです。

 ちょうど先月、劇作家の平田オリザさんを囲んで「哲学カフェ」を開いたときに、オリザさんが同じことを言われていました。いま人々が交流し、創造するための新しい広場が求められている、と。

 そういえば、映画の中で「ここは私の広場だ」と叫ぶ男が何度か出てきましたが、現代社会では「ここは私と社会を繋ぐ広場だ」と叫ぶ人がもっと出てくれば、活私開公によって社会は、パラダイスになるように思うのですが……。

ニュー・シネマ・パラダイス
<ストーリー>
戦後間もないシチリアの小さな村で、唯一の娯楽はパラダイス座という映画館。その映画館を舞台に、少年と映画技師の心の交流を描く。

販売元:角川映画

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文/小川仁志