大切なのは”気づく”こと

 デロリスは声の出し方を教えただけです。それは聖歌隊のメンバーがもともと持っているものです。だから気づきを与えるだけで意識が変わり、本来の自分になれるのです。これはまさにドイツの哲学者ハイデガーが論じた世界内存在の議論と重なるものだといっていいでしょう。

マルティン・ハイデガー(1889-1976)。ドイツの哲学者。存在の意味を問うことで、本来的な生の意義を明らかにした。著書に『存在と時間』、『ヒューマニズムについて』等がある。

 ハイデガーのいう世界内存在とは、世界の中で様々な事物とかかわり、それらに配慮しながら生きる様を表現したものです。たとえば、私もそうですが、通勤には車を使い、仕事ではパソコンを使い、食事のたびに食器を使い、寝る時にはベッドを使っています。いわばこれらの事物は私たちにとって道具であり、そんな道具の中に私たちは生きているわけです。ハイデガーは人間存在のことを現存在と呼びますが、その意味で現存在は世界内存在なのです。

 ただ、人間が事物とかかわりながら生きているというのは、単に人間が物に取り囲まれて生きているということを意味するものではありません。そんなふうに物に取り囲まれて、いたずらに寝食を繰り返すだけの存在だとしたら、自分なんて誰でもいいことになってしまいます。ハイデガーにいわせると、それではただの人を意味する「ダス・マン」にすぎません。

 それだと、道具の究極目的であるはずの人間が、交換可能、代理可能な誰でもいい存在になってしまいます。だからハイデガーは、交換可能な人生は非本来的であるとして、本来的な生き方を主張するのです。