あなたは何を怯えているの?

 ナウシカもまた愛によって、人間や生き物を不幸から救い出そうとします。不幸な人は怒り狂います。でも、それはおびえているから。ナウシカはそう考えるのです。そうやって凶暴だったキツネリスのテトを手なずけ、王蟲(オウム)の怒りを鎮めます。そんな不思議な力を持ったナウシカを人々は尊敬し、彼女についていこうとするのです。

 彼女はいつも武器一つ持たず、危険の中に、いや不幸の真っただ中に突き進んでいきます。そして外側からではなく、内側から物事を解決しようとします。人々の心の中にある不幸の本質を見極め、それを無償の愛で受け止めることによって。すると燃え盛るような不幸が、まるで冷たい氷で急に冷やされたかのようにすうっと消えていくのです。あの王蟲の真っ赤な目が青く澄んだ目に急変するように。

 子供をおとりにされたことで王蟲の群れが怒り狂ったときもそうでした。自然は怒り、毒から谷を守っていた風もやんでしまいます。すると、突き進んでくる大量の群れに向かって、なんとナウシカは一人手を広げて立ちふさがろうとします。それは大砲で迎え撃つトルメキアの兵士たちとは正反対の行動でした。ナウシカは知っていたのです。そんなことでは本当の悪は消えないと。その凛とした姿は、ヴェーユが論じた際限ない悪との闘い方を彷彿させます。ヴェーユはこんなふうにいっていました。

自分の罪に戦いをいどみ、切っては断つ。しかし、罪はますます強く大きくなる。この方法は埒があかない。罪をのりこえて進まねばならない。この方法ではむずかしいし、時間もかかるが、実行可能である。じっさいに前進するし、ついには終着点にたどりつく。梢づたいに森を渡りきった男のように、悪をのりこえて進む。これはなにを意味するのか。自分のうちにある悪を撲滅するのではなく、悪が終わりになる地点をめざすのだ。あらゆる悪をつうじて善に思いをはせること。撲滅すべき悪にではなく、善に思いをはせることだ。(『超自然的認識』)

 まるでナウシカの言葉を聞くようですが、ヴェーユもまた悪を切って断つのではなく、悪を乗り越えて進む道を説いたのです。そうすることで悪を撲滅するのではなく、悪が終わりになると信じていたから。

 この世のすべての不幸の十字架を背負い、一度は死んだかと思われたナウシカは、王蟲の力によって復活します。そして金色のじゅうたんを歩いて再び人々の前に姿を現すのです。もうそのときにはあらゆる不幸が消え去っています。この世から不幸を消すためのたった一つの方法。それは決して戦うことではありませんでした。ただ苦しみを受け止め、愛することだったのです。やがて谷に風が戻ってきます。幸福を運ぶ風が……。

風の谷のナウシカ
<ストーリー>
舞台は「火の7日間」といわれる最終戦争で現代文明が滅び去った1000年後の地球。風の谷に暮らすナウシカは、「風の谷」に暮らしながら、人々が忌み嫌う巨大な蟲・王蟲(オーム)とも心を通わせ、有害な瘴気覆われ巨大な蟲たちの住む森「腐海」の謎を解き明かそうとしていた。そんなある日、「風の谷」に巨大な輸送機が墜落、ほどなく西方のトルメキア王国の軍隊が侵攻してくる。墜落した輸送機の積荷は、「火の7日間」で世界を焼き尽くしたという最終兵器「巨神兵」であった。そして、少女ナウシカの愛が奇跡を呼ぶ…。

監督:宮崎駿
販売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社

Amazonで購入する