人類が「ちょうどいい未来」を手に入れるために
もしかしたら天空の城ラピュタは、欲望機械なのかもしれません。人間の欲望が作り上げた機械です。ところがこの世界には、人間の欲望とはまったく無関係に存在しているもう一つの大きな力があります。そう、自然です。いくら人間が欲望を抱こうと、その欲望が機械のように自律的に肥大化していこうと、自然は「常にその行く手を阻もうと」します。いや、自然に意志はないので、「事実として行く手を阻まれる」といったほうが正確でしょうか。
もちろん、人間の欲望と自然がうまく共存できれば、お互いの行く手を阻む必要などないはずですが、なかなかそれができないのです。天空の城ラピュタにもやはり自然があります。そしてそれは異物としての人工物にあらがうかのように、存在感を示しているのです。その象徴がラピュタの中枢部にまで伸びた根っこだといえます。「こんなところにも」と驚くムスカ。逆に「木の根が僕たちを守ってくれたんだ」と感謝するパズー。木の根っこはラピュタの人工物を飲み込むかのように、圧倒的な存在感を示しています。
まるでドゥルーズらが描いたリゾームそのものです。リゾームというのは、もともとは地下茎の一種である根状茎を意味していることから、中心を持たないネットワーク状のものを指しています。
リゾームに対置される概念がトゥリー(樹木)です。もっとも、ここでは単なる樹木ではなく、樹形図のような発想を指しています。トゥリーが理論で構築された文明を象徴するとすれば、リゾームは自由自在に広がっていく自然を象徴しているということもできるでしょう。ラピュタに当てはめるなら、彼らの科学力や人工物がトゥリーで、そこを覆い尽くす自然がリゾームなのです。そして面白いことに、ラピュタでは滅びた文明を根っこが覆い尽くし、リゾームがトゥリーに勝っているのです。
ここで私たちはある種の警鐘に気づきます。シータが「土から離れては生きられない」といったように、文明のおごりは自然の怒りを買い、両者の共存を不可能にしてしまうのです。ラピュタという欲望の象徴が、自然の怒りを買い、廃墟となってしまったのはその証左です。欲望を持ちすぎることで人類は滅びてしまう。でも反対に、その愚かさに気づきさえすれば、人類はちょうどいい未来を手にすることができます。
呪縛から解き放たれた天空の城ラピュタが、空のちょうどいいところを気持ちよさそうにふわふわと飛ぶラストシーンは、そんなメッセージを私たちに届けてくれているように思えてなりません。
天空の城ラピュタ
<ストーリー>監督:宮崎駿
販売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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