「哲学」ってむずかしいことだと思っていませんか? 「哲学」とは、「ものごとの正体を知ること」。哲学者の小川仁志さんが、身近なことを題材に分かりやすく哲学の視点から読み解きます。今週も、テーマは大人気TVアニメ「おそ松さん」。兄弟について哲学していきましょう。

6つ子たちのアイデンティティークライシス

 なんといっても「おそ松さん」が面白いのは、この六つ子という設定です。しかも一見、顔もそっくりで、声もそんなに区別できるわけではないのに、いずれも超個性的。このいろんなタイプがいるところが、ウケている要素でもあります。

 さて、今回はこの六つ子という人間関係にフォーカスを当ててみたいと思います。長男のおそ松は、とても長男とは思えない無邪気さを持った小学生のような性格。次男のカラ松は、クールを装うも自意識過剰で、その部分が暴走することしばしば。三男のチョロ松は突っ込み役だけど、女性にはからしき弱い。四男の一松は、ネクラなうえに人に毒を吐く皮肉屋。五男の十四松は、異常なテンションで予測不能の行動をとる変人。六男のトド松は、末っ子らしいあざとさで他の兄弟を出し抜こうとするトラブルメーカーです。

 ただ、それでも人から見れば変わり者の六つ子であり、やる気のないニート集団であり、子供のように無邪気で明るい兄弟たちです。つまりこの6人は、ワンセットで一つのアイデンティティーを有しているわけです。

 これがまさに彼らを象徴する一番の特徴といっていいでしょう。いわば「6分の1と6倍のアンビバレンス(=相矛盾する態度や感情)」です。一人ひとりが6分の1の存在として超個性的なのに、それがたまたまそっくりな六つ子としてワンセットで行動することによって、その個性が6倍になるのです。そして超個性的な六つ子の「おそ松さん」という集団としてのアイデンティティーを持つに至ります。おそ松さん的「みんな違って、みんないい」とでもいいましょうか。 

 しかも6分の1の個性それぞれは、日ごろ激しくぶつかり合います。それでも6倍の一つの集団として共存していかなければならないのです。このアンビバレントな姿に、私たちは共感を覚えるのです。なぜなら、これは私たち人間存在のモデルでもあるからです。

 この点、フランスの現代思想家ジャン=リュック・ナンシーは、「複数にして単数の存在」という概念を掲げています。

ジャン・リュック・ナンシー(1940~)。フランスの現代思想家。方法論としては、ジャック・デリダの脱構築に強い影響を受けている。様々なテーマを扱いながらも、一貫して現代社会における人間の共存について探究を続けてきたといえる。

 つまり、人間は複数であると同時に単数の存在だというのです。たとえば、私も長男ですが、無邪気で自意識過剰で皮肉屋。異常なほどテンションが高いこともあります。そんな色々な側面を持つ私でも、やはり一人の人間としてのアイデンティティーを持って生きています。

 色々な側面が自分の中で葛藤を繰り返しながら、それでも一つの人格として折り合いをつけて生きるのが人間の本質なのです。六つ子の姿に、私たちはそんな自分自身の本質を投影しているのではないでしょうか。さすがにあそこまでハチャメチャではないでしょうが、ああいうふうに極端に描かれたほうが、複数にして単数であるという特徴がより際立つのです。