初めてのアフリカの旅

――最初にアフリカに行かれたのは2009年、23歳の時でした。それまで、英語がしゃべれないなどで躊躇(ちゅうちょ)していたようですが、何が渡航のきっかけとなったんでしょう。

 10代まではだらだらとネガティブなことを考える体力があったんですけど、21歳で一人暮らしを始めてネガティブなことを考えていてもいい結果が生まれないことに気付いてから、アフリカへの思いをだらだら抱いていたことに疲れてしまったんです。ずっと片思いをしているような状態なので、ダメならダメで次に行きたいなと。1回行ってみて合わなかったら、アフリカ捨てちゃえばいいじゃんっていう。ダメだったら諦めて、よかったらそのまま好きでいようぐらいの考えになって、英語ができなくてもいいって思い切りました。

――最初に付いたガイドは、そんなに英語ができないのに来たのかと驚いたとか。(著書によれば、「Hello」「I’m fine」「Hungry」「Sleepy」程度しか言えなかった)

 すごく迷惑を掛けてしまいました。でも、最初のガイドが、2度目にアフリカに行った時の(相性が悪かった)ガイドだったら、私は2度とアフリカに行っていなかったと思うので、人には恵まれてきたと思います。

 2013年にアフリカ南西部のナミビアに行った時に会ったガイドのレスリーとは今も一緒に仕事をしています。彼はすごく優しくしてくれたんですが、今、英語で少し意志疎通ができるようになったら、初回はすごくストレスだった。本当にノーイングリッシュでやってきて、僕のストレスは計り知れなかったよって。そんなふうに思っていたんだって最近になって知りました。でも、そんな相手にも今もこうやってつながっていてくれる優しさが彼にはある。昔話をできるアフリカ人の友達がいるのはいいなって、思っています。

――アフリカでは、現地の人と同じ格好をして同じものを食べていれば仲良くなれると、子どもの頃から「確信」していたそうですね。

 小さい時から人付き合いは苦手なんですが、テレビでマサイ族を見た時に、同じ格好をして同じものを食べて飛び跳ねていれば(マサイ族は優れた跳躍力で知られる)、仲良くなれるだろうという漠然とした感覚がありました。

 アフリカの人たちと接していて思うのが、彼らは動物的な感覚が鋭くて、私たちが警戒していたりするのを敏感に感じ取るんです。基本的に社交辞令はないので、ありのままを嗅ぎ取るというか。私が彼らのことを本当に好きだってことを感じ取ってくれますし、駆け引きがなくてシンプルなんです。それが、日本人とアフリカの人たちとの違いですね。

 日本人や白人文化だと相手の機嫌を探るでしょう。「ご飯一緒に行きましょう」と言われて仲良くなったと思ったら社交辞令だったとか。そうしたことがあると私は人間不信になってしまったりするんですけど、アフリカの人たちにはそれがないので、ありのままでぶつかっていける。ケンカをしても、1回衝突して大きく荒れて、でもそれで終わるんです。後まで引きずらない、後腐れがない感じがいい。

――そうした中で2012年、裸で過ごすコマ族の女性と同じ、ありのままの姿になって撮影に挑んだ。どうしてそのタイミングだったのでしょう。

 それまでは、「同じ格好をしたい」と、ガイドに英語でどう伝えていいか分からなくて。シャイな日本人の部分もあって、自分の希望をガイドに伝えられずもじもじしていました。きちんと伝えられるようになった時に実行しようと思っていて、それがそのタイミングだったんです。

――村の人々の反応は、同じ格好をする前と後では変わりましたか。

 全く変わりました。

 英語で相手に思っていることを伝えられるようになる前からリスニングはある程度できるようになっていて。彼らの話を聞くうちに、少数民族であればあるほど自分たちの文化にすごく誇りを持っている反面、白人から植え付けられたコンプレックスがすごく根深いことが分かりました。肌が黒いだけで白人に見下されているという思いがあって。日本人も自分たちのことを「動物」だと思っているだろう、そんなふうに見ているように感じた。でも、だからこそ、私が自分の中にある彼らへのリスペクトをきちんと伝えられたら、この壁を一気に突破できるだろうな、と。

 私は彼らの「特別な人」になりたかったんです。アフリカ人は私にとってハリウッドスターのように輝かしい人たちなので、その彼らに家族だと言われたり、心の中に刻んだりしてほしかった。忘れられたくなかったんです。訪れた部族の女性と同じ格好をした時、そのポジションに就けたと思いました。

スリ族に、特有のメイクを施してもらっているヨシダさん (C) nagi yoshida
スリ族に、特有のメイクを施してもらっているヨシダさん (C) nagi yoshida

――「世界一おしゃれな民族」といわれるアフリカ中東部エチオピアのスリ族に会うまでは、「作品」を撮ろうとは思っていなかったそうですね。

 そうですね、それまでは「記録」ですね。会いに行ったという記録と、写真の上手下手関係なく周りの数少ない友達や親に、アフリカ人ってカッコいいでしょ、っていうのを伝えたかっただけなんです。

 でも、写真を載せたブログは読者が増えていったものの、見てくれるのはアフリカに既に興味がある人たちが中心で。私は、アフリカのことを何も知らないのに、「貧困や内戦、HIV感染率の高さとかネガティブな面しかない国々のどこがいいんだ」などと否定している人たちに、彼らのカッコよさを伝えたかったんですね。それで、どうやったら伝えられるんだろうと考えていて。

 それまでの私の写真は、アフリカに興味がある人が見たら、写っている人の目に他の写真とは違う輝きがあるといったことを気付いてもらえたと思うんですが、興味がない人からしたら、どこにでもある普通の写真なんですよ。そんな時、英国人フォトグラファー、ジミー・ネルソンの写真に出合って。世界各地の少数民族を作品のテーマとしている人なのですが、自然なポーズではなく、現地の人たちを「並べて」写真を撮っていたんです。それを見た時、初めて「作品」としてアフリカの人たちを撮っていいんだと思いました。

 私はアフリカ人を戦隊もののヒーローのように思っていたので、あ、こんなふうに撮ればいいんだと背中を押してもらった感じです。ただし、私はイラストレーターの時、人よりも色彩感覚に長けていると言われていたので、アカデミックな雰囲気の彼の写真にはない、色彩を生かした写真を撮ろうと思いました。それが、2016年に出版した「SURI COLLECTION」(いろは出版)という写真集につながりました。

2015年、エチオピアでスリ族を撮影するヨシダさん (C) nagi yoshida
2015年、エチオピアでスリ族を撮影するヨシダさん (C) nagi yoshida

――アフリカの写真というと、ドキュメンタリーのように撮られたものをよく見る中で、こんな撮り方があるのかと思いました。スリ族の撮影では、被写体になった人たちも積極的にポーズを取ったそうですね。

 もちろん、最初は私がポーズを決めて撮り始めたんですけど、彼らはおしゃれにすごく長けていて、「あ、ナギはこうやってポーズを決めて撮りたいんだ」ということをだんだん理解してくれました。モデル料をもらえるので、撮ってほしい人たちから積極的な提案も始まり、いい具合に相乗効果が生まれたんです。

 私の作品には賛否両論があります。何も知らないアフリカの少数民族に、自分のエゴでファッショナブルな写真を撮るのはいかがなものかという声もある。アフリカの様子を伝えるドキュメンタリー写真はとても大事だと思うのですが、そういう写真は数多くあって、それに長けているフォトグラファーの方がいます。私は、ドキュメンタリー写真ではアフリカに関心を持たなかった人たちに彼らの魅力を伝えたいと思っているので、今のスタイルの作品にたどり着いた。

 それに、アフリカ人や少数民族をドキュメンタリー写真でしか撮っちゃいけないと考えること自体が、私には一種のエゴに思える。彼らは一緒に作品撮りをするというモチベーションを持って被写体になってくれていて、「カッコいいおまえらを伝えようぜ」っていうお互いの理解のもと撮影しているわけです。ドキュメンタリーではない部分を打ち出すことができているのは、彼らの協力あってこそなんです。

 何度も行けないような場所もありますが、撮影した人たちには作品を渡してお礼を伝えたいので、できるだけもう1度訪れるようにしています。これまでに訪れたアフリカの国は18カ国。写真を撮っていない人たちもいますが、出会った部族は200を超えていると思います。

聞き手・文/大塚千春

 このインタビューの後編は、3月12日の公開予定です。どうぞお楽しみに。