これまで「高木美帆の姉」として取り上げられてきた高木菜那選手。先日閉幕した平昌オリンピックでは、一大会としては日本女子選手史上初の二個の金メダル獲得となりました。試合後に「美帆だけじゃなくて、菜那もいるんだぞ」と語った菜那選手ですが、これまで彼女はどんなスケート人生を歩んできたのでしょうか。人気スポーツブログ「フモフモコラム」のフモフモ編集長に解説してもらいます。

姉妹合計で金2・銀1・銅1のメダルを獲得

姉妹で4個ものメダルを獲得。高木菜那選手(左)と、高木美帆選手(右) 写真/JMPA代表撮影(岸本勉)
姉妹で4個ものメダルを獲得。高木菜那選手(左)と、高木美帆選手(右) 写真/JMPA代表撮影(岸本勉)

 日本選手団が大躍進を見せた平昌五輪において、大偉業を成し遂げたのが高木菜那選手・高木美帆選手の姉妹でした。

 菜那選手はスピードスケート女子チームパシュート・女子マススタートでの2冠。これは冬季五輪における日本女子選手による史上初の複数個の金獲得であり、夏季五輪を通じても「日本女子選手による一大会での複数金獲得」は史上初のことでした。美帆選手もチームパシュートの金に加え、1500メートル銀・1000メートル銅と3個のメダルを獲得し、日本選手で唯一の金銀銅コンプリートを達成。平昌五輪のメダルランキングでいえば、姉妹合計で金を2個も取っているためベラルーシを抜いて全体で15位。メダル獲得個数でいっても全体18位に相当する「国家レベル」での大活躍で、「スケート大国・高木家」と言っていいくらいです。

 各種メディアでもメダル獲得の要因を報じています。300日にわたる長期合宿、オランダ人コーチの就任、チームパシュートでの整然とした隊列、コーナーでの先頭交替の巧みさなどです。しかし、この大活躍の本当のスタート地点にあるのは、日本スピードスケート界の「チームパシュートに注力する」という強化方針そのものでした。

 チームパシュートとは、団体追い抜きのこと。1チーム3人編成(メンバー自体は4人)で、1周400メートルのスケートリンクを女子の場合は6周して、合計約2400メートルのタイムを競います。2006年のトリノ大会から採用された種目で、日本はトリノ大会で4位、2010年バンクーバー大会で銀メダルを獲得しています。トリノ・バンクーバーと続けて日本スピードスケートとしての最高成績を獲得した種目となり、いわゆる「勝てる」種目として強化のターゲットとなりました。

パシュートを優先する、戦略的なメンバー選考

 その方針はメンバー選考にも大きな影響を与えます。スピードスケートでは各国の出場枠はワールドカップの成績をもとに決められ、種目ごとに2~3枠(ソチ大会以前は4枠の種目もアリ。パシュートは国単位なので1枠)、そして選手数は最大で男女各10名と規定されています。

 平昌五輪の日本女子の場合で言えば、500メートルに最大3選手、1000メートルに最大3選手、1500メートルに最大3選手、3000メートルに最大3選手、5000メートルに最大2選手、マススタートに最大2選手を送り込むことができるが、「その合計人数は10人までですよ」という意味です。

 この出場枠と人数規定の仕組みが、選考に大きな影響を与えたのが前回ソチ大会でした。この大会で日本女子は「500メートル、1000メートル、1500メートルで4枠」「3000メートル、5000メートルで3枠」を獲得しています。この枠を最大10選手で埋めることになるわけです。

 しかし、実際に出場した選手数を見ると、500メートルと1000メートルの短距離種目だけは出場枠を使い切らずに、3選手ずつとなっていました。500・1000メートルは両方に出場する選手が多い種目なので、短距離の選手をあと一人選べば枠は埋まるのに、そうしなかった

 それはチームパシュートを優先するため、ひいては「高木菜那選手をパシュートに出場させるため」でした。