初エッセイがドラマ化。続く『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』が第31回講談社エッセイ賞受賞。現在は平日昼のラジオの帯番組を担当するなど多忙な毎日を送っているジェーン・スーさん。アラサー女子のメンター的存在として圧倒的な支持を集めるジェーン・スーさんですが、実は、最初からフリーランスで活躍していたわけではありません。会社員だった時代があり、転職経験もあるといいます。会社員時代の働きぶりや転職経験などについて、3回にわたってお届けします。第1回は、20代のころから30代前半のお話です。

ジェーン・スー

コラムニスト/ラジオパーソナリティー/作詞家

音楽クリエイター集団agehaspringsでのプロデュースや作詞家としての活動に加え、自意識をこじらせた大人たちへのパンチラインが話題を呼び、2013年10月『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)を出版。2作目の『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)が第31回講談社エッセイ賞を受賞。
2016年4月よりTBSラジオ番組『ジェーン・スー 生活は踊る』(月~金11:00~13:00)でパーソナリティーも務める。
最新著書『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)が発売中。

「ここで飛べないのはつまらない」と背中を押されて

――ジェーン・スーさんは会社員経験もあると伺いましたが、どのような業界で、どんなお仕事をされていたのでしょうか。

 1996年に新卒でレコード会社に入社し、所属アーティストの宣伝を担当していました。そのころ、音楽業界はかなりの「バブル」の時代。不眠不休で頑張っていました。

――その会社から転職を経験されたんですよね。

 そうです。28歳のとき、同業他社からの転職のお誘いがかかりました。アーティストの宣伝担当というポジションは変わらなかったのですが、とある日本人アーティストの海外デビューに関わるプロジェクトをやってみないかという魅力的なお話でした。

 プロジェクトには強く引かれたものの、初めての転職ですから躊躇する気持ちもあり、かなり悩みました。でも、「ここで飛べないのはつまらない」と同僚に背中を押されて……。最終的に思い切って、転職したんです。

新卒で働いていたころの写真(ジェーン・スーさん提供)
新卒で働いていたころの写真(ジェーン・スーさん提供)

二度目の転職と破局で、人生総とっかえ

――同じ業界ということは、やはり激務だったのでは。

 転職先も前職と同じように、かなりの激務でしたね。関わっていたプロジェクトがひと段落したのは、3年後でした。ひと段落したタイミングで、ちょっと休もうかなと思って退職しました。

――休んでいた間は、何をされていたんでしょうか。

 1日中、パジャマ姿でテレビを見てました。前職が忙しすぎてお金をあまり使っていなかったこともあり、普通に暮らしていれば、すぐに生活に困ることはないだろうと思ったんですよ。

 その当時、ルームシェアをしていて、というか、同棲相手がいまして。個人的にはそろそろ結婚してもいいなと思っていたんですけど、うっかり振られてしまいまして……。31歳で退職して、男と別れて。仕事も変わって、引っ越しもして、人生総とっかえでしたね。