市民トライアスロンで自身過去最高に成長していたさなかの故障。トライアスリートとしての役割を一時停止することで得たものとは。インタビュー最終回では、仕事、家庭、トライアスロン、それぞれのステージを全力で生きるということについてお話しいただきました。そこから浮かび上がるのは、社会から求められる役割とは別に、自分だけのチャレンジをすることの意味ではないでしょうか。

第1回 トライアスロンで急成長―道端カレンのマルチな人生
第2回 「すべては小さなステップの先にしかない」
第3回 入院・手術を越えて見えてきたもの(この記事)


入院・手術で見つめ直した子どもたちとの関係

――過去最高のパフォーマンスが見えていた矢先のケガ。とても残念でしたね。

道端さん(以下、敬称略): ケガをしてよかったかなと思うこともあるんです。あまりにもトライアスロンに夢中になり過ぎていたかもしれません。タイムも成績もついてくると、「もっともっと」という気持ちが高ぶり、体だけでなくいろいろ無理をしていたんだなと思いました。もちろん、私はそれが好きですし、ストレスでもなかったので、むしろトライアスロンに打ち込める環境をありがたく思っていました。でもこのケガのおかげで、今すごくのんびりできています。

ケガのおかげで、のんびりできたかな。無理をしていたことに気が付きました
ケガのおかげで、のんびりできたかな。無理をしていたことに気が付きました

――のんびりしてみて、いかがでしたか。

道端: 子どもとの会話がとても増えました。一緒に勉強したり、映画やテレビを見たり。あと、ゆっくり向き合って話してみると、実は学校の提出物をたくさんため込んでいることが分かって、慌ててやらせたり(笑)。一つひとつはなんでもないことなんですけど、こういう時間が減っていたのかなと実感しました。

 振り返ると、これまであっという間だったなと思います。子どもが小さい時は大変ですが、大きくなってくると人格がはっきりしてきて。宿題やりなさいとか授業ちゃんと聞いてきなさいとか、できないところを叱ってやらせるのは小学校低学年くらいまでですよね。それ以上になったら、もう本人にやってもらうしかありません。

 それでも、時間を取ってしっかりと向き合うことは大切だなと、今思っています。全然できていない提出物を見ながら……(笑)。

――これまでお母さんが忙しく頑張ってきたからこその、お子さんとの貴重な時間ですね。

道端: そうですね。練習する姿を子どもたちに見せながら、大人になって、お仕事以外にも楽しいことがあって頑張れる、と知ってもらうだけでもいいかなと思います。

 子どもからもトライアスロンは応援してもらっています。大会が終わって家に帰ると、子どもたちは「今日どうだった?」と聞いてきます。トロフィーとか盾とか、賞品のフルーツとか土地のものを持って帰ると、とても喜んでくれます。私がうれしい気持ちになっていることを分かっているのだと思います。

 たまにリタイアしたときは、私、機嫌を悪くして帰宅してしまうんですね。悔しくて泣いてしまうこともあります。だから「今日はやめちゃった」などと言うと、子どもたちは、さーっと子ども部屋に逃げていきます。

――ケガの期間が糧になっていますか。もしかしたら、一呼吸置くために、与えられた時間だったのかもしれませんね。

道端: そうですね。糧にしなきゃ、と思っています。糧にしよう。するしかないですね。悔しいですし。

 でも、ケガをしていても今でも水泳ならできていて、そこがトライアスロンのいいところなんだと思います。1種目の競技は、ケガをしてしまった、伸びない、飽きがきた――というときに、逃げ場がないんですね。トライアスロンは3種目あるので、練習は大変ですが、「スイムは調子悪いけどランニングは伸びている」などと切り替えができ、そこに救われることは多いかと思います。レース中でも切り替えがあり、それを楽しんでいけば、実力も上がっていきます。