目指したのは、下手な絵を描くアプリ

 「暮らしのロボット共創プロジェクト」のメンバーは、Pepperが絵を描くアプリを開発していました。はじめは、取り込んだ画像をきれいに描くアプリを目指していたんですけど、現場を通して「絵が下手なPepperのほうがいい」という結論が出ました。

 Pepperが下手な絵を描いて、「ぼく、絵を描くのが下手だから、書き足してほしいなぁ」、「ぼく、色を塗るのが下手だから、もっと色を塗ってほしいなぁ」と言う。

 すると、お年寄りたちから「Pepper、上手だね」と自然な言葉が出て、絵を描くのを手伝ってくれます。

 このように、どうしたらお年寄りたちが前に乗り出してくれるだろうか? と、常に考えています。

 Pepperが器用に何かをすると、単純に見るだけになっちゃうんです。「これからお遊戯をします」と言ってロボットがただ遊んでいたら、みんな観客になってしまいますよね。

 実証実験の初めのときも、もしPepperが普通に起き上がって話していたら「Pepperすごいね」となっていたと思います。でも、はじめに起き上がらないと「なぜだろう?」となる。だんだんコミュニケーションが取れるようになってきたら、「頑張れ」と思う。

 そんなふうに、不完全なものを前にすると、お年寄りたちは主体的に動くようになる。

 つまり、「面倒を見てあげたい存在」が求められている。さらに、単におもちゃのような存在ではなく、本来の孫や子どもの文脈に乗せられたらもっといい。だから、コミュニケーションロボットが現状は自立している必要はないと思っています。