酒井 いろんな人がいるということを認めざるを得ない世の中になってきましたが、やはり子どもを持つ人は、産んだことが正しいと思いたいし、産んでいない人も、自分の選択は間違っていなかったと思いたい。みんな「自分の存在は正しい」「自分はこれでよかった」と考えたいのではないでしょうか。

 子どものいない「子ナシ族」は、今や珍しい存在ではなくなりました。生涯を未婚ですごすのは男性は10人に2人、女性は10人に1人。さらに子どものいない既婚者を合わせれば、その数は決して少なくない。今後、高齢化社会に向けて大量の「子ナシ高齢者」が増えていくのは確実です。これからは、出生率と同じように「生涯未産率」が注目されるのではないでしょうか。

「みとり」のシステムが社会的な要請になってくる

――今回、酒井さんがこのテーマについて書くきっかけとなったのが「お母さまのみとり問題」だったとか。

酒井 父は既に他界していたので、母のみとりは子どもである私たちが行いました。その時に感じたのが、子は親をみとるために存在するということ。そして、みとりを終えたらそれで終わりではなく、葬儀や相続にまつわる作業、遺品や家の片づけなど、やるべきことが山積みです。膨大な作業をこなしながら、「で、私の時は誰がやるの?」と思ったんです。その時にあらためて、子どもがいない人生について考えるようになりましたね。

 上野千鶴子さんも「おひとりさまの最期」という本をお書きになりましたが、これからはどうやって「自分のお棺の蓋を閉めるか」、そのためのシステムづくりを構築する必要があると思うんです。私には姪(めい)っ子がいるのですが、今後は独身の叔父・叔母を持つ甥(おい)・姪たちの負担が社会問題になってくるでしょうから、そのあたりも考えていかなくてはいけないですね。

――個々人の問題だけでなく、社会のシステムとして必要になってくると。

酒井 ある意味、ビジネスチャンスでもありますよね。子ナシ族が周囲に迷惑をかけずに安心して死んでいけるようなサービスには需要があると思いますよ。

――以前は、子どものいない人生について意識されたことはありましたか?

酒井 周りの友人たちが出産しはじめる20代後半から30代は、子持ちと独身で遊び方や暮らし方が大きく変わり、これまで仲の良かった友人と疎遠になって寂しさを感じたこともありました。でも40代に入ると、子持ちの人も子育てがひと段落してまた会うようになり、違いをそれほど意識しなくなりました。親のみとりや自分の老後について考えはじめる40代以降は、再び子どもという存在について向き合う時期なのかなと思います。

――私も「40代子どもなし」のひとりですが、年齢的に出産のリミットが迫る40歳前後は、「産んでおくべきか」という迷いや焦りから気持ちが波立つ人が多いように思います。SNSで同世代の子どもネタや、写真入り年賀状を見ると落ち込んだり、自己嫌悪に陥るという悩みも聞きます。

酒井 もう産まないであろう40代後半以降になると、そうした気持ちも落ち着いていくものです。ただ、SNSにアップされるのは基本的に“光”の部分。「子供が不登校で……」などということは書きません。メディアも“美人で仕事ができて2児のママ”といった人たちにスポットを当てがちですが、そういう人たちと自分を比べだすとどんどん不幸になっていく気がするので、そこは「外国人のようなもの」と考えておくのはどうでしょう。とはいえ、少子化という状況を考えれば、そうしたプレッシャーも若い人には多少は必要かもしれません。

 落ち込んでしまうのは、「自分を哀れだと思いたくない」という気持ちが強すぎるからかもしれません。その「かわいそうさ」を逆に楽しむくらいの視点を持っておく方がラクでいられるのではないかと思いますよ。

――酒井さんご自身は、子どもが欲しいと思ったことは?

酒井 一度だけ、子どもがいないことに対して「これでいいのかな」と考えたことがありました。でも、そもそも子どもが苦手なので、そんな気持ちも一瞬でおさまり、今に至ります。結局、出産年齢のリミットがもたらした生物としての焦りだったのかなと。私は、サボテンすら枯らしてしまう人なので、何かを育てるということに向いていないし、そうした欲求も薄い。それが分かってからは、「子どもがいなくてよかった」と思うようになりました。