「モノを売る仕事」が肌に合わず、1年で退職

 父親の転勤に伴い、高校時代までを米国、香港、日本で過ごした、いわゆる帰国子女。米国の大学を卒業後、帰国して京都の実家へ。週3回ほど英会話学校の講師をしながら久々に触れる日本文化の刺激を満喫していたが、次第にそんな生活が物足りなくなり、就職を決意する。

 当時、関西で帰国子女が入社試験を受けられる会社はほとんどなく、「唯一面接してくれた」外資系生活用品メーカーに就職。しかし、1年たらずで辞めてしまう。

 「今思えば、すごくチャレンジングな仕事をさせてもらっていました。マーケティングのアシスタントマネージャーとしていきなり責任を持たされて、贈答用の化粧石鹸を商品化していくのです。製造現場へ行ったり、広告を打ったり、さまざまな仕事をさせてもらうなかで、どこかに“たいして経験もないのにこんなことを言って、自分は何様なのか”という思いがありました。しかも当時の私は、商品を一つでも多く売るという仕事に意義を感じることができず…。それで、もったいないことに、あっさり辞めてしまったのです」

 退社後は、ひとりでバックパックを背負って80日間の世界旅行へ。自由で気ままで世界が広がる――そんな旅行が大いに刺激になったのかと思いきや、「結局、ひとり旅は嫌いだなということが分かって帰って来ました。だってひとりで大きな荷物を抱えて、頼れる人もいなくて、大変じゃないですか(笑)」。結局、“自分探しの旅”にはならなかった。

 仕事も続かない、やりたいことも見つからない――そんな国谷さんの運命を変えたのは、世界旅行から帰国後のある日、実家にかかってきた1本の電話だった。

 「幼い頃、家族で香港に住んでいたときにNHKの特派員の方が近所に住んでいて、その方からの電話でした。“NHKで英語のニュースを読む人を探しているんですが、確かお宅には、英語の話せるお嬢さんがいましたよね”と。当時NHKは、夜7時のニュースの2カ国語放送を始めるために、英語ニュースの読み手や、原稿をすばやく英訳できる人材を探していたんです」

 “来るもの拒まず”という意識で、国谷さんは姉と一緒に東京へ試験を受けに行き、2人とも合格。東京で姉と暮らしながら、英語ニュースの仕事をする生活が始まった。