ゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー・松井さんのキャリアの軌跡。初回「日系移民の両親から学んだ大切なこと」に続き、今回は、アナリストランキング1位を獲得し、家族にも恵まれ幸せ絶頂のなか、乳がんにかかっていることが判明した波乱の時期についてお聞きしました。

レポートを書き続けてアナリストランキング1位に (C)PIXTA
レポートを書き続けてアナリストランキング1位に (C)PIXTA

 私たちアナリストは、国内外の投資家に判断材料を提供するため、株式市場を分析し、レポートを1年に何十、何百と書きます。

 28歳でバークレイズ証券のチーフストラテジストになるも、仕事でなかなか結果を出せずにいました。バブルが崩壊した当時、日本株の売り手の中心は外国人投資家で、彼らが日本株を売る意図を国内投資家は知りたがっている。アナリストは景気がいい時期よりも、マーケットが下り坂のときほど必要とされる存在であるはず……。そこで私は、英語のネイティブである強みを駆使して海外の投資家にヒアリングを重ね、そのセンチメント(市場心理)を国内投資家にフィードバックしていきました。

 「ストラテジストに空きが出たので、ぜひうちに来てくれないか」。ゴールドマン・サックス証券(以下、GS社)からヘッドハンティングのお話をいただいたのはその頃。世界屈指の投資銀行からのお誘いは光栄である一方で、同じようなポジションでの転職には正直、メリットが感じられなかった。お断りしようとした矢先、ご連絡をくださったのが、同社の著名ストラテジストだったアビー・ジョゼフ・コーエンさんでした。後に私のメンターになる彼女のキャリアヒストリーやGS社の社風を聞き、挑戦してみようと考えました。

 もう一つの決め手は、「私に子供ができたらどうしますか?」と尋ねると、出会った社員すべてが「会社のサポート態勢は万全。多くの女性が出産しても活躍している」と答えたこと。26歳で結婚していた私は、子供はいつか欲しい。安心して出産できるのならと、転職を決めたのでした。

 顧客から信頼を得るには、アナリストとして自分を差別化できるようなテーマに挑戦しなければ。29歳でGS社に移った私は、日本の長期的かつ構造的な問題に取り組もうと考えました。まず、企業年金の積立金不足問題を分析。それまで誰もやらなかった個別企業ごとの年金積立状況の分析には、大きな反響がありました。