留学から帰国した私は、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院に進学。2年間の修士課程中の夏休みに、東京でインターンシップを経験する機会がありました。そのときに出会ったのが、後に夫となるドイツ人の大学院生。彼は日本で政治家の秘書やエコノミストとして働いていました。大学院を卒業すると、私は愛のために、迷わず日本に戻ることを決めました。

 日本での就職活動を経て、外資系証券会社3社から内定を獲得。金融業界を目指したのは、分析すること、意見を述べることが好きな自分の性格や強みを生かせそうだ、という気持ちから。でも実際は、面接だけで会社を選ぶことができず…。そこで、内定を得た3社に「半日だけ見学させてください」とお願いしたんです。

 1社目は、図書館のように静かで、つまらなく感じました。2社目は、シニアアナリストは男性、女性は4大卒でもアシスタントという役割差があった。3社目は、国籍や男女の差が全くない。何より、社内の雰囲気が明るかった。そこで3つ目の会社、イギリスに本社があるバークレイズ証券への就職を決めました。

 25歳で入社した私は投資調査部に配属されました。チームはイギリス人ボスと私の2人。1990年当時の日本は、バブルのピーク。PER(株価収益率)は50倍、60倍が普通だった日本株はまもなく大暴落しました。でも、経済が厳しいときほど、アナリストには勉強になるもの。投資戦略に必要となる分析や考え方を学ぶ日々は、とても充実していました。

 入社3年目で上司が退職し、チーフストラテジストに昇格。競争に勝つには、まずは他社と同じような分析レポートを出せば、なんとかなると思いきや、これがどうにもならなかった。国内の大手証券会社に、分析データ量やスピード面では、全く太刀打ちできません。さらに私には、キャリアが浅いこと、外国人女性であるというハンデがある。悩む日々が続きました。

取材・文/松田亜子

日経ウーマン2018年3月号掲載記事を転載
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プロフィール
Kathy Matsui
Kathy Matsui
1965年アメリカ生まれ。ハーバード大学卒業、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院修了。90年にバークレイズ証券、94年ゴールドマン・サックス証券入社。99年「ウーマノミクス」という新しい概念でレポートを発表。『インスティテューショナル・インベスター』誌日本株式投資戦略部門アナリストランキングで1位を獲得。2015年から副会長となり、チーフ日本株ストラテジストとして活躍する一方、アジア女子大学の理事会メンバーも務める。1男1女の母。
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