自分から行動することで、ネットワークが広がった

 まず、「私は営業をします!」と宣言。できるだけ外に出て、島の中だけでなく新潟にも出かけるように。ちょうどその頃、女性が島に戻って蔵元を継いだことが注目されたのか、あるテレビ局番組審議委員の依頼が舞い込んでくる。審議委員会で知り合った人たちの縁で業界を超えたネットワークができていき、東京への営業も開始。尾畑さんの活動範囲はどんどん広がっていった。

 その後、国際線を持つ航空会社と直接やり取りをして尾畑酒造の日本酒がファーストクラスやビジネスクラスの機内酒として扱われるようになり、また、当時は珍しかった海外への直接輸出をスタートさせた。今では14カ国15地域に輸出するようになるなど、グローバル展開にも力を注ぎ、目の前の目標を達成してきた。

 さらに、尾畑さん夫妻は新しいプロジェクトに着手する。廃校となった、日本で一番夕日がきれいな小学校を活用し、酒造りの場として再生。2014年から、酒の仕込蔵としてだけではなく、酒造りを学ぶ場、交流の場、佐渡の環境を具現化する場として「学校蔵」をスタートさせた。

「この人のために頑張ろう」と思える人を、二人作る

 尾畑さんは、映画業界にいたときから、仕事をする際に実行してきたことがある。それは、「この人のために頑張ろう」という人を社外に二人つくること。「自分のためだけに頑張るのは限界がありますが、この映画が当たらないとこの人が困る、と思うと意外とパワーが出るものです(笑)」

 蔵元になってからは、助けてくれた人たちのために頑張ってきた。「尾畑酒造のお酒が全く無名で、女性の蔵元が営業に出ることも少なかった時代に、お酒を置いて応援してくれた酒屋さんに恩返しがしたかった。うちのお酒が連続して金賞をとって一番うれしかったのは、恩返しのスタート地点に立てたこと」と話す尾畑さん。

 尾畑さんの多彩な活動の源泉は、“人”。今でも、酒業界や、米業界の人たち、自分と同じ方向を見て活動している人たちに会うと、「この人のために頑張ろうと思える人を見つけて、それをエネルギーの元にして進んでいます」。

 次回は、東京の生活と地方での生活の両方を経験した尾畑さんに、地方を拠点に働くことについて伺います。

取材・文/芦部洋子、写真/稲垣純也

尾畑留美子(おばた・るみこ)
尾畑酒造専務、五代目蔵元。佐渡島の真野町(現・佐渡市)で生まれ、慶應義塾大学法学部卒業後、日本ヘラルド映画に入社。1995年、酒蔵を継ぐために佐渡島に戻る。尾畑酒造の日本酒「真野鶴」は、「全国新酒鑑評会」金賞、「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」のSAKE部門ゴールドメダルをはじめ、数々の賞を受賞。廃校で酒造りと情報発信を行う学校蔵の活動をまとめた著書『学校蔵の特別授業~佐渡から考える島国ニッポンの未来』(日経BP社)も好評。日本酒造組合中央会需要開発委員のほか、総務省地域力創造アドバイザーをはじめとする官庁関連の委員経験も豊富。
尾畑酒造ウェブサイト:http://www.obata-shuzo.com/
五代目留美子の蔵元日記ブログ:http://ameblo.jp/obatarumiko/