「地球最後の日が訪れたら何をしたい?」そして、Uターンを決意

 入社して8年。奇しくも、入社時に30歳まで頑張ると宣言した、その30歳を迎える直前。いくつかの出来事が重なった。「東京の大学に進学した際には、実家に帰るつもりはまったくなかったのですが、家を継ぐ予定だった姉夫婦が父親と折り合いが悪く、数年前に家を出てしまい、後継ぎ不在になっていました」

 さらに、当時社長だった父親が60歳を目前に病気で入院。両親から帰ってこいと言われたわけではなかったが、「父の病気を期に、人生はずっと続くわけではないんだ、ということを改めて実感しました。そして、もし、地球最後の日が訪れたら、自分は何をしていたいかを考えてみたんです

 地球最後の日まで1週間あったら何をするか、半年あったら……と色々なケースを考えたが、結局、最終日の行動は決まっていた。「実家の仕込み蔵のひんやりとした床にペタリと座って、大きなタンクに囲まれながらお酒を飲んでいたいなぁって。そのとき、しみじみ思いました。そうか、私がしたいことはこれだ、と。それなら、自分の居るべき場所に帰ろうと決心しました」

 当時、映画業界での仕事に対しても、ある感情を抱いていたという尾畑さん。ちょうどハリウッド映画の大作の宣伝を手がけていたが、アメリカサイドと仕事を進める中で、ふと思うことがあった。

 「ハリウッドの世界は見た目は華やかですが、実際はシビアで人もどんどん入れ替わる。巨大な映画業界の裏側で仕事をする人の中には、減点されないように、クビにならないように、うまく立ち回っている人もいました。そういう仕事のスタイルに、物足りなさやつまらなさを感じてしまって……。私は、もっと地に足の着いた仕事がしたい、 と考えるようになったんです」

「佐渡に帰る」と報告すると、男友達から驚きのプロポーズ

 佐渡島の実家に帰る決心をした尾畑さんは、親友である一人の男性に報告。その男性・平島健さんは、尾畑さんが入社して最初に出会った編集者だった。佐渡に帰って実家を継ぐという尾畑さんの話を聞いた平島さんは尾畑さんに数日後、プロポーズした。「結婚しよう。一緒に佐渡島に行ってお酒を造ろう」

 「驚いた私は、『それは止めたほうがいいよ』と断りました(笑)。編集者という仕事は、酒造りに比べると刺激もあるし、収入も安定している。それに、東京出身の彼が島で暮らすということは、彼が考えているより大変で、苦労が多いでしょうしね」

 しかし、平島さんは改めて、「僕がなぜ君と結婚して佐渡島で酒造りをしようと思うか」というテーマで、尾畑さんにプレゼンを実施。親族が造り酒屋で酒造の空気感を知っていること、雑誌編集と酒造りは“ものづくり”という共通点があることなどを論理的に語り、「完璧なプレゼンで落選させる理由がなく(笑)」、二人は結婚。尾畑さんは夫と共に佐渡島に帰ることになった。

 ところが、実家を継いだ尾畑さんはその後、「八方塞がりな5年間」を過ごすことになる。次回は、うまくいかない日々を尾畑さんがどう乗り越えてきたのか、について伺います。

取材・文/芦部洋子、写真/稲垣純也

尾畑留美子(おばた・るみこ)

尾畑酒造専務、五代目蔵元。佐渡島の真野町(現・佐渡市)で生まれ、慶應義塾大学法学部卒業後、日本ヘラルド映画に入社。1995年、酒蔵を継ぐために佐渡島に戻る。尾畑酒造の日本酒「真野鶴」は、「全国新酒鑑評会」金賞、「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」のSAKE部門ゴールドメダルをはじめ、数々の賞を受賞。廃校で酒造りと情報発信を行う学校蔵の活動をまとめた著書『学校蔵の特別授業~佐渡から考える島国ニッポンの未来』(日経BP社)も好評。日本酒造組合中央会需要開発委員のほか、総務省地域力創造アドバイザーをはじめとする官庁関連の委員経験も豊富。

尾畑酒造ウェブサイト:http://www.obata-shuzo.com/
五代目留美子の蔵元日記ブログ:http://ameblo.jp/obatarumiko/