おかしな有能さの証…原因は?

 学校生活や部活動で、そのような訓練を積んできているのです。どれほど理不尽で過酷な課題だろうと、泣き言を言わずにクリアするのが優秀な生徒であると。それに加えて、「意見を言うのはみっともないことだ」という刷り込みもされています。

 そうではないですか? 教室で手を挙げて質問すること、先生に異議を唱えること、誰かの意見に同意しないこと、これら全てが「わがまま」「空気を読めない」「イタい」などと言われてきませんでしたか?

 そのように叩き込めば、組織を運営する側には極めて扱いやすい人材が育つでしょう。では、私たち一人一人が幸せになるために、その教育は本当に有益なのでしょうか?

 さらに女性は、家庭での会話や雑誌などの文言から繰り返し「可愛いことは正義」「愛されることが勝利」「女の子は従順で柔和で、控えめであれ」と刷り込まれます。それに息苦しさを感じているのに、他の女性が堂々と意見を言ったりするのを見ると「嫌な女」「目立とうとしている」などとつい批判的になってしまう…そう、あなたの中には「あるべき女子像を押し付ける何者か」が住み着いて、自分にも、他の女性にもダメ出しをしているのです。

 可愛い女子であれなんてまっぴら!と思いながらも、そうでなければ生き残れないと思い込んでいる。だから、「セクハラされたらオトナの対応で受け流すのが聡明さの証」「セクハラを逆手に取るのがいい女」という、単にセクハラを正当化するための屁理屈を、疑いもなく「処世術」として受け入れてしまったりするのです。

 これが器用に生きるってことだよね...なんて自分に言い聞かせて。

 NO! それは間違っています。