人生半ばで直面する「自分探し」の季節

ニケ へ~~、自分探し、ですか?

カワイ 「気が滅入り、落胆した状態。あるいはガソリンが切れて、モチベーションを失った状態であり、彼らは彼らの仕事に興奮を得られず、もし経済的に実行可能なら劇的なキャリア転換さえ夢見る時期である」

 これはね、米国の組織心理学者エドガー・シャインが、40代について評した有名な言葉です。

 平たく言えばマンネリ感。若い時には無限に思えた時間が、そうではなかったことに気付かされる。若さへの嫉妬もある。一晩徹夜すると3日は使いものにならない体力の衰え、知人の死など、喪失感にさいなまれるお年ごろでもあります。

 ただね、40代というのはあくまでも目安で、年齢そのものに意味があるわけではないの。人によっては30代後半にそういった「危機」に陥ることもあれば、50代になってから迎える人もいる。

ニケ 薫さんは? いつ思秋期になったの?

カワイ そうね~。30代後半かなぁ。私の場合はね、CAをやっていた4年間が「準備体操」みたいなもので、その後、気象会社で一からお天気を学んで体力をつけて、「気象予報士第一号」を取った時に「スタート」の旗が振られた。ニュースステーションでお天気お姉さんをやって第1コーナーを曲がり、その後TBSの情報番組でMCをやったりラジオをやったりして第2コーナーを曲がって……。「第3コーナーが見えてこないなぁ」って思っていた時に、東京大学大学院に進学して第3コーナーを曲がったって感じかなぁ。

ニケ ってことは、「第3コーナーが見えてこないなぁ」の時が、思秋期だったということですね?

カワイ はい。その通りです。「このままでいいのかなぁ」って30代後半からず~っとモヤモヤしていました。ただ、私はサラリーマンではないので定年はないでしょ。自分の腕で(と、右腕をポンポンたたく)で食ってるわけだから、「今のままテレビの仕事をしていてもいつか終わりがくる」という危機感はありましたよね。それと……テレビってね、放出するメディアなのよ。

ニケ 放出する? な、ナニを?

カワイ 自分が消費されるっていうか、自分を消費するメディア。どんどん中身がすり減っていっていると感じていました。消費されることが嫌になっていたのね。もっと吸収しなきゃ、って。吸収するには学ぶしかない。

ニケ そっか。それで大学院に進学したんですね! でもその時、既にお天気お姉さんで活躍してたのに、大学院生になるのって怖くなかったんですか? だって、その頃って社会人入試制度はなかったんですよね?

カワイ 大学によってはあったけど、東大の医学系研究科はありませんでした。だから受験しようかなぁって考えて、研究室に訪問した時は門前払いされたのよ(苦笑)。

ニケ な、なんで?

カワイ 「あなたは博士課程に進学する気持ちはありますか? ここは研究者を育てる大学院です。まさか仕事と学生の二足のわらじを履くつもりじゃないですよね? 修士論文は純粋な院生でもきちんと書けるものではない。ましてや博士課程に進学するには『特優』を取れないとムリ。英文の原著論文にできるレベルの修士論文しか、うちの研究室は提出させません」って言われてしまったの……。

ニケ うわぁ! キビシ~~~! ん? でも、なんで門前払いされたのに薫さんは進学したの?

カワイ その時にね、「こんな本を書いています」ってちょうどその頃出版した「体調予報」という生気象学(体と天気の関係を追究する学問)の本を、取りあえず自己紹介代わりに先生に持っていったのね。そしたら、一週間後にメールが来て「あなたのような人はきっといい研究ができる。ビリでもいいからとにかくしがみついて受かる努力をしなさい!」って書いてあった。それで入試までの3カ月間、死にモノ狂いで勉強して……。ビリで通過~。ギリギリセーフ!

ニケ スゴっ!

カワイ 勉強する過程では、大学院生の方が「この本を勉強しなさい」「過去問は安田講堂の下の売店に売っている」とかいろいろアドバイスをくれたり。いろんな人たちが応援団になってくれて。その応援に応えるにはマックスまで頑張るしかないでしょ? だから……マジ、死に物狂いの3カ月でしたよ。なんとか通ったけど、ビリだったから、進学してからは大変だった。仕事もレギュラーは降りて、講演会とか週一のラジオとか、生活がギリギリできるくらいまでセーブして。で、あれこれ学問してるうちに「博士課程までちゃんと行かないと研究者にはなれない」って痛感して……今があります(笑)。