その経歴からは、全く想像もできない「やる気がない、ダメダメな新人時代」を過ごしていたという浜田敬子さん。前編の「浜田敬子『入社3日で音を上げ欠勤、ダメ記者だった』」に続き、10の質問で素顔に迫ります。仕事での忘れられない失敗、落ち込んだときの対処法、そして、仕事を続けてきたからこその格別な「ご褒美」についても聞きました。

「仕事を通じた出会いの一つ一つが今の私をつくってくれています」
「仕事を通じた出会いの一つ一つが今の私をつくってくれています」


【質問6】忘れられない失敗経験は?

【回答】遺族取材での失言です。

 ダメダメ新人だった1年目にやってしまった大失敗は、今でも忘れられません。

 日航ジャンボ機墜落事故のご遺族の会「8・12連絡会」の代表を務めていたのが、東京都内にお住まいだった美谷島邦子さん。お子さん二人と妹さんを亡くすという壮絶な経験をなさった方です。同会が署名運動をするという話を聞いて、当時、前橋支局にいた私も上司に交渉して県外の東京まで取材に行かせてもらったんです。

 美谷島さんとは初対面でしたが、人見知りしないタイプの私は懐に入らせてもらってお話をたくさん聴き、すっかり打ち解けた気分でいました。親切な美谷島さんは「今日泊まるところあるの? ないなら、うちに泊まれば?」とまでおっしゃってくださって、1年目で何も実績を残せていなかった私はその言葉だけで舞い上がってしまった。

 宿泊の予定は会社に事前報告する決まりだったので、美谷島さんに電話を借り、支局に電話したんですね。出た先輩に事情を話したら、受話器の向こうから「お前すごいなぁ、すぐ泊めてもらえるなんて」と感心する声が。それに私は反射的に「あ、私、こういうの得意なんで」って答えた。単に、先輩に褒められたのがうれしかったし、「私だってできるんだぞ」というのを少しでも見せたかった気持ちがあったのだと思います。本心というより、精いっぱいの見えだった。

 ところが、その言葉を美谷島さんが聞いていたんです。後になって美谷島さんから「浜田さんは、ああいう気持ちで遺族と付き合っているの?」と言われた時には、もう頭の中が真っ白になりました。ああ、なんてことを言ってしまったんだと。以来、取材を受ける側の気持ちに立つという基本中の基本を胸に刻むようになりました。