元厚生労働事務次官で、2009年には「郵便不正事件」で無実の罪で逮捕され、164日の拘置所生活を余儀なくされた村木厚子さん。現在は困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」の呼びかけ人や、犯罪を繰り返してしまう障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」の顧問など、多方面で活躍しています。8月には新刊「日本型組織の病を考える」を上梓。村木さんをつくってきた「10のこと」を2回にわたり聞きました。

元厚生労働事務次官の村木厚子さん
元厚生労働事務次官の村木厚子さん

【質問1】影響を受けた人物はいますか?

【回答】父です

 最初に大きな影響を受けた人物は父親だと思います。あんなにうまく子どもに勉強をさせられる人はいません。「この中学校に進学したい」と言った日から一度も「勉強しなさい」と言わなくなり、志望校に受かって有頂天になっていたら「成績が50番以下ならやめなさい」と言いました。本当によく子どもを見ていたのだと思います。

 「嫁入り道具を買ってあげる気はないけれど、教育だけは受けさせてやる」と言っていたことをよく覚えています。父が育ったのは山奥で、義務教育を終了した後は、そこで農業や林業をやるのが当たり前の地域でした。ところが、父の父である祖父は「この子は他の子とは違うから」と言って、寄宿舎に入らないと通えない高校に入学させてくれたらしいんです。「自分が父親にしてもらったから、同じことを娘にしたいと思った」と、後々話してくれました。自分が教育を受けたことで、教育がどれだけ大事かを認識していたのですよね。

 父は、私が地元の大学から東京に出て就職をする時も、働きたい気持ちを尊重してくれました。自立したい思いを大事にしてくれたことには、ものすごく感謝しています。

【質問2】人生の分岐点はいつでしたか?

【回答】大学に進学し、労働省(当時)に入ったことです

 「地元なら四年制に行かせてあげる」と言われて高知大学に進学し、それが後の職業につながったことは大きかったです。当時は民間企業で女性の総合職を採用してくれるところがなかったので、就職は高知県庁か当時の労働省(現厚生労働省)の選択肢でした。労働省を選んだきっかけは高知県庁の面接。「女性の上級職の仕事は庶務だよ。男性だってなかなか企画的な仕事をさせてもらえないんだよ」と面接官に言われたんです。それがすごくショックで、労働省に行くしかないと思いました。

 実はこの話には、後日談があります。就職して1~2年目の頃、まだ創刊して間もない「日経WOMAN」を読んだら、女性が活躍している県庁の47都道府県ランキングが出ていました。そこで東京都庁、大阪府庁に続く第3位に高知県庁が入っていたのです。当時、高知県庁には既に女性の課長がいました。だから、面接で言われた「厳しいよ」という言葉は、「女にはやらせない」ということではなく、「簡単にそういう仕事はできない」という意味だったのだと思います。若かった私は真に受けて労働省に行きましたが、職業選択という意味では、運命の分かれ道でした。県庁に行っても面白い仕事はあったと思いますが、労働省の仕事はすごく楽しかったので、その時の面接官に感謝しなければならないかもしれません。