防災意識が高まった

 緊急時の集合場所を決めたり、備蓄をしたり。地震国の日本では遠くない将来、また巨大地震が起こると予想されています。事前にできる防災対策は万全にしておきたいですね。

災害時に家族と会えるように、避難場所の確認をしました。(26歳)

非常食や水、防寒グッズなどをそろえましたが、その後カレーの賞味期限が一度切れて、時の流れを感じました。何事も起きない日常にそろそろ慣れてきています。また気を引き締めたいです。(30歳)

震災後は、しばらく車のガソリンが品薄に。それからは余裕を見て早めに給油するようになりました。(30歳)

SNSなどを通したデマの拡散に加担しないように、ニュースや情報の一次ソースを確認するくせをつけました。(28歳)

物流の大切さを実感しました。震災直後はコンビニやスーパーにも商品が届かず、空っぽのおにぎりやパンの棚を見て不安な思いをしました。(28歳)

阪神・淡路大震災を経験しています。自分が生きている間に、日本でこれ以上の震災は起きないと思っていましたが、さらに想像を超える災害が起きました。また、日本のどこかで大災害が起きる可能性があります。危機感を忘れないことが重要です。(35歳)

職場での防災対策をするようになった

 東日本大震災では首都圏の交通機関が麻痺し、約500万人以上が帰宅難民となりました。通勤者の中には職場で夜を明かしたり、徒歩で帰宅したりした人もいました。

帰宅難民になって、「歩いて家に帰るのは危険。災害時は落ち着くまで会社で泊まる方が安全」だと気がつきました。今は大雪や大雨の予報が出ているときも、事前にスケジュールを調整して、天気が荒れる前に帰宅するようにしています。(28歳)

勤務先から自宅までの細かい地図、携帯型の非常食、ミニ懐中電灯、マスク、コンパクト救急箱をバッグに入れて、常に持ち歩いています。(29歳)

地震が発生したとき、47階にあるオフィスは大揺れで船酔いのような状態が続きました。もちろんエレベーターも停止。ヒールの靴を脱ぎ、裸足で階段を降りて避難しました。それからはスニーカーを常備しています。(33歳)

節電意識が高まった

 福島第一原子力発電所の事故によって、日本は原発がはらむ安全性の問題に直面しました。首都圏では節電のため、震災後しばらくは電車内やコンビニですら照明が落とされていましたね。なお2013年には日本国内すべての原発が停止しましたが、2015年以降、新しい規制基準のもと、徐々に再稼働が始まっています。

日々省電を心がけ、原子力発電に頼らないで済む生活を子や孫に渡してあげたい、と願うようになりました。(31歳)

悲しいけれど、イルミネーションに感動しなくなりました。見るたびに「喉元過ぎれば……」という言葉が浮かびます。(30歳)