本気を出せば、土作りからできる女です

 それでも丁寧な暮らしへの憧れは誰にでもあると思います。だったら一度、自分が気になるものはすべてとことんまでやってみてはどうでしょう。

 土鍋でご飯を炊く。梅酒を作る。雑巾で隅々まで磨き上げるなどなど……。最近はコンビニ飯だけど、本気を出せば自分は梅干しも漬けられるし味噌だって作れるんだということを確認したら、あとは好きなように加減して楽しめばいいんじゃないでしょうか。いっそベランダで稲作でもしてみると気が済むかもしれませんね。

 それこそ私も数年前、丁寧な暮らしに憧れて庭にバラを植えまして。オーストラリアは砂地なので土から入れ替えなくちゃいけないんですが、スコップ片手に地道に庭造りした結果、ひとシーズンきちんとバラを咲かせることができたんです。でも忙しくなってしまった今では、あれほど手をかけていた庭はカラッカラ。それでもバラって丈夫で、一度根付くと毎年花が咲くんですね。だから老後はまたちゃんと手入れをして、もっと花を咲かせたいなと思っています。

 こんなふうに、丁寧な暮らしが毎日持続しなくたって、「私は一からバラを植えることができる」ことが分かっていれば、いつだって時間ができたときに理想の状態を取り戻すことができるはずです。その日を楽しみにとっておこう、くらいの気持ちでいましょうよ。

 そういえば面白いことに「パックじか食べ」を自分に許して以降、美術誌を購読して陶磁器を見るようになったんです。もともと好きでしたが、プラスチック容器が日常になった途端、原点回帰のように一層器に引かれるようになりました。

 これもやっぱり、「私は鍋島焼と備前焼と萩焼の違いが分かる女である。しかし今はあえて、自ら選択した上で、プラスチックの容器から直接刺し身を食べるポテンシャルの高い女である」という確認作業の一つなんだろうと思っています(笑)。

死を意識したら、暮らしが丁寧になった

「私が丁寧な暮らしをしている理由は、実は死を意識してのことなんです」
「私が丁寧な暮らしをしている理由は、実は死を意識してのことなんです」

 それともう一つ。これは丁寧願望というより、年齢的に死を意識することが増えたせいなのですが、40を過ぎてから部屋の整理整頓が習慣になりました。

 出稼ぎ中は家族と離れて都内で一人暮らし。だから冗談ではなく、もし私が部屋で突然死したら、夫ではない誰かが第一発見者になる可能性が高い。そうなったとき死体を見ただけでも発見者には相当な負担になると思うので、「うわっ、死体見ちゃったよ……あれ、でもこの人、部屋はキレイだな」と、極力ダメージを少なくしてあげたいんです。

 それと、バラの切り花も部屋に欠かさず飾っています。いい香りがして気分が上がるというのはもちろんのこと、これもやっぱり第一発見者のことを考えて、なんですよね。「小島慶子の死体はあったけど、部屋のバラはキレイでいい香りだった」という状態でいければベストです(笑)。

 つまり究極、自分が旅立った後に残された人のことを考えるようにして日々を暮らせば、自ずとそれが丁寧な暮らしになるのかもしれませんね。

聞き手・文/小泉なつみ 写真/稲垣純也