就職すると自然と肩書が与えられる会社員の人などは肩書きを与えられることに慣れているかもしれません。それはそれで肩書に自分を合わせていくという難しさがありますね。逆にフリーランスの場合、肩書を常に相手から尋ねられるため、自ら考えて名乗る必要があります。この場合「自分は何者で、何をして生きていきたいのか」を表明しなくてはいけない難しさがあります。

「作家」=エラい先生? 肩書に付随するイメージで大炎上

 私は、メディアで肩書を名乗る必要がある場合は、「ブロガー・作家」を名乗っています。「ブロガー」は、ブログが本になったのがメディアに出るきっかけだったので、ブログに力をいれていない今でもルーツを示す言葉として、大切に使っています。また、テレビ出演などの際にブロガーと紹介されると、私を知らない方にも「この人はネットから出てきた人なんだ」と分かってもらいやすく、検索もしてもらいやすいという強みがあります。

 同じように、「作家」については、本を書いていることが分かりやすいという利点があります。メディアが肩書を用意してくれる場合、「コラムニスト」や「エッセイスト」などの肩書がついていることもあるので、それはそのままにしています。ただし、「ライター」と書かれている場合は必ず、作家に直します。

 作家とライターはどちらも同じく文章を書く職業ですが、ライターの場合、取材をして対象者の言葉をまとめたり、どこかに行って何かを紹介したりと、対象が「自分」ではないというイメージを私は持っています。作家はそれに対して、それこそ「小説」を書いたり、ネタを日常から探したり、「自分」の表現・発信が多いと私は考えています。もちろん、小説を書くときにモデルがいたり、取材をする場合もありますが、やはり「ライター」と「作家」は領域の違いがあると思っているわけです。

 肩書はその人の看板でもあるので、肩書を見て、お仕事依頼をする人も多くいるわけですよね。以前に雑誌で肩書が「ライター」となっていたことがあるのですが、それがきっかけでライター養成講座の講師依頼が来たことがありました。その内容に「取材依頼書の書き方」や「テープ起こし」などの項目があるのを見て、私は「ライター」ではない、と思って以来、自ら名乗る際は「ライター」ではなく「作家」にしてもらうようになりました。

 余談ですが、肩書がジャーナリストとなっていたこともありました。事件現場に駆け付けて自ら取材するようなこともしていないので、私は「ジャーナリスト」ではないと思います。ただ、その業界にいない人にとって、そこらへんのお仕事は全部同じように見えるのかもしれませんね。私も、例えば放送業界において「プロデューサー」と「ディレクター」は何が違うのかなどよく分かっていないので。肩書への定義や思い入れは人それぞれだと思います。

 炎上が大きくなった理由は、「作家」という肩書を権威あるものとして考えている方が多かったことだと思います。そのため、自ら「私は作家先生なんだからライターとは呼ばないで」という、「作家 > ライター」のように職業に上下をつけた発言のような捉えられ方をしてしまったのだと思います。もちろん私としてはそこに優劣はなく、ただライターという仕事との線引きとして作家を名乗ったつもりだったのですが……。