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最高に“出世”したが…女としての幸せとは~女性天皇に学ぶ「女性の生き方」

2015年7月29日

持統天皇~セレブ妻の意地を通した“女傑”天皇(3)

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(前回までのお話)

天武天皇、持統天皇が眠る、野口王墓(奈良県明日香村)

 持統天皇は、天智天皇の二女。4姉妹が叔父の大海人皇子に嫁ぎました。第一夫人である姉は、幼子を残して夭折します。

 天智天皇が即位したとき、大海人皇子が皇太子となりました。ところが、天智天皇は自分の長男の大友皇子を次期天皇にしたくなり、大海人皇子の殺害を決意します。

 それを察した大海人皇子は、自ら願い出て、出家の許しを得、吉野に引きこもります。が、「このままでは終われない」という思いは、大海人皇子と妃の持統天皇の共通のものとなりました。

 そして、ついにその日がやってきます。天智天皇が崩御し、大友皇子の即位を聞くや兵を挙げ、戦いに勝利。大海人皇子は天武天皇として即位します。持統天皇も皇后となりました。

 しかし、また問題が勃発。今度は、自分の息子ではなく、実姉の息子が次期天皇になってしまいそう、というものです。

 そして、夫である天武天皇が崩御した直後、「実姉の息子が謀反の疑いで包囲され、自殺」という事件が起こります。

 都合よく運んだと思ったら、またまた予期せぬ出来事が! なんと、息子が病で他界してしまったのです。

 そして、自ら即位を宣言し、日本史上4代目(人物としては3人目)となる女性天皇「持統天皇」が誕生します。

*詳しくは ⇒ 第1回
     ⇒ 第2回

*    *    *    *    *

権謀術数の剛腕為政者、持統天皇

 持統天皇は、これまでの女性天皇のイメージを一新します。

 天武天皇の隣にはべり、常に政を二人で決めていたこともあって、政策への見識も深く、臣下との朝議を取り仕切っていたと言われています。

 天武天皇は、そのカリスマ性によって、群臣らを心服せしめていたこともあり、天皇が直接政治を執り行う親政制をとっていました。そのため、政務の実質的な執行者であった太政大臣や、それを補佐する左大臣、右大臣を置いていなかったのです。言い換えれば、天武天皇による独断政治と呼ばれても、仕方ないものでした。

 しかし、持統天皇の時代になると、さすがに天皇独裁では、なにかと反発を招きやすいと感じたのか、大規模な人事交代を行い、義理の息子(天武天皇の側室の子)・高市皇子(たけちのおうじ)太政大臣に任命したのです。

 このコンビは、非常にうまく機能し、さまざまな改革政策を打ち出して、古代日本の転換期を築いていきました。

 まず法律によって、国家を支配する律令制度が定まり、さらには戸籍を整備し、借財で苦しむ人々のために、負債の利息を免除する徳政令も発布。臣下には武芸を奨励して、心身の鍛錬を行うよう命じました。まさに「男勝り」と言っても過言ではない即断即決の政策に、群臣たちも持統天皇の手腕を評価するようになります。

 太政大臣の高市皇子には、その成果としてさまざまな恩賞を与え、なさぬ仲の二人の関係は、ゆるぎないものと見えていました。

 しかし、実際は逆でした。

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