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【終戦70年】ごく普通の17歳の女学生から戦場の看護師へ、「元ひめゆり学徒」が見た戦争

2015年8月15日

「戦争は本当に恐ろしい。歴史を学び平和な世界を作って」元ひめゆり学徒・仲里正子さんインタビュー

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今日8月15日は終戦記念日、太平洋戦争が終戦を迎えてから70年が経過しました。経験者の多くが鬼籍に入り、戦争の記憶が失われつつある今、改めてその声に耳を傾けてはみませんか。

元ひめゆり学徒隊の仲里正子さん。

 沖縄県糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」で、1989年の開館当初から、元ひめゆり学徒が「証言員」となって26年間行ってきた事前予約を受けての講話が、彼女たちの年齢が80代後半になったことを受けて2015年3月22日をもって終了した。元ひめゆり学徒の生の声を一人でも多くの人に届けたいと、インタビューを行った。当時、ごく普通の17歳の女学生だった仲里さんが見た戦場とは?

 今から70年前。「先生になる」という夢を抱いて、師範学校で学ぶ17歳の女性がいた。沖縄県に住む仲里正子さん(87)。クラスメイトから「正ちゃん」と呼ばれ、学園生活を楽しむごく普通の女学生だった。1945年3月、「ひめゆり学徒隊」の一員として戦場に行くまでは。


【ひめゆり学徒隊】
太平洋戦争中、日本で唯一地上戦の舞台となった沖縄で、「沖縄陸軍病院」に動員され、負傷兵の看護に従事した15~19歳の女学生と、教師たちのこと。動員された「ひめゆり学園」(沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の総称)の生徒・教師240人のうち、136人が戦火の中で亡くなった。

「動員される前年の夏休み、ふるさとの石垣島に帰ったときのことです。私が『お国のために陸軍病院で働くことになった』と告げると、戦争を体験したおじが『死ぬかもしれないのに行くな』と言いました。私は『日本は必ず勝つのだ』と口答えしたことを覚えています。軍国教育の影響で、太平洋戦争が『正義の戦争』であることを、誰もが固く信じて疑いませんでした。戦場に行くまで、本当の戦争がどんなものか、私たちはまったく知らなかったのです」

勤務場所は丘に掘られたトンネルの中

 仲里さんたちが動員された「沖縄陸軍病院」は、沖縄本島南部の南風原(はえばる)町にあった。病院と言っても、建物があるわけではない。空襲を避け、丘に掘られた「壕(トンネル)」の中にベッドを並べた仮設の病院だ。昼も真っ暗、足もとがぬかるむ壕の中で、ひめゆり学徒隊は負傷兵の看護に従事し、砲弾が飛び交う壕外での飯上げ(食事運び)や水汲みも担当した。

「ひめゆり学園」の女学生たち(1943年、学園のプールサイドにて撮影)。前列右から3人目が仲里さん。後列左から3番目と4番目の女性は、海岸に追い詰められ手りゅう弾で亡くなった。
(=ひめゆり平和祈念資料館提供)

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