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幸福論 by アラン

新訳で読むアラン『幸福論』―死者の祭礼

2014年10月23日

「死者に私たちを教え導く力があることは、人間の最も偉大な事実」

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 「もう深刻ぶるのはやめてのんきにやろう」と語るフランスの哲学者・アラン。『幸福論』とは、アランが書いた短いエッセーの中から、幸福に関するものを選んでまとめた哲学書です。本連載では、約90年も前に書かれた名著『幸福論』の中から10本を厳選し、新訳でお届けしていきます。アランの考えに触れることで、複雑に見えた困難や悩みが形をかえたり、目の前の景色が違って見えたりするかもしれません。さぁ、のびをして、あくびをして、頭の中をひっくり返そう!

翻訳/村井章子 ブックデザイン/佐藤亜沙美 イラスト/平山昌尚

死者の祭礼

 死者のために祭礼を執り行うのは美しい習慣である。この祭礼、すなわち万霊節が、一一月二日に定められているのはまことにふさわしい。この頃には、太陽がどんどん遠ざかっていく徴候がはっきりと現れる。枯れた花、踏みつけられる落ち葉、長い夜、一日中が夕方のようなどんよりした日々……。これらはすべて、疲れ、休息、眠り、そして過ぎ去った日々を思わせる。

 一年の終わりは一日の終わりのようでもあるし、一生の終わりのようでもある。そう考えると、未来には闇と眠りしかないように感じられる。そこで物思いは自然に過去に立ち帰り、人は自ずと歴史家になる。このように、しきたりと季節と思考の流れは調和している。だからこの季節になると、大勢の人が死者の霊を呼び出して話そうとする。

 だがどうやって霊を呼び起こすのか。どうやって喜ばせるのか。ユリシーズは食物を供えた。私たちは花を捧げる。だが供え物が何であれ、それは私たちの思いを死者へと向かわせ、対話のきっかけを作るためのものに過ぎない。私たちが呼び覚ましたいのは死者の思いであってその肉体ではなく、死者の思いが私たち自身の中に眠っていることは、あきらかである。

 だからと言って、花や花輪を供え、墓を花で飾ることが無意味なわけではない。なぜなら私たちは自分の意思の通りに考えられるわけではなく、思考の流れは、見るもの、聴くもの、触れるものに左右されるからだ。したがって何らかの光景を演出し、それにまつわる思考を引き出そうとするのは理に適っている。宗教的な儀式の価値は、まさにここにあると言えよう。ただし儀式はあくまで手段に過ぎず、けっして目的ではない。だから、ミサに参列したり祈祷をしたりするようにして死者を訪れるにはおよばない。

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