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夜WOL小説・すあしの恋―第5話

2014年1月10日

あのイケメンランナーの正体は!?

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私は佐藤早紀。東京に住むアラサーOLだけど、恋はご無沙汰気味。そんな私の恋物語を描く『Web小説・すあしの恋』は、毎日18時に更新します。どうぞお楽しみに!

(前話はこちら

 「とにかく、営業にとっては、まず“顔”を覚えてもらうことが、何より大切なの」

 橘は、高めのヒールのパンプスにもかかわらず、ときおり小走りにならないと追いつけないほどのスピードで歩いた。

 早紀は戸惑っていた。こんなにしゃべる人だとは思わなかった。

 それまで知っていた橘は、どちらかというと口数が少なく、話すときには、優しく語りかけてくる印象があった。

 フェミニンなスタイルを好んだが、男に媚びるような態度はいっさいとらない、完成された“大人の女性”だった。

 橘は、誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社した。男女に関係なく、部下はできるだけ早く帰らせた。どうしても仕事が間に合わないときでも、必ず終電までには帰宅させ、自分は残って仕事を続けた。それでも、次の日の朝には、いつもの柔らかな笑みで全員を迎えた。

 嫌みでもなんでもなく、彼女には「ミス・パーフェクト」というニックネームがぴったりだった。

 とりわけ、営業部 営業2課の営業アシスタントから、同部 営業1課の外回り営業に転属されたばかりの早紀には、優しく接してくれた。

 勝手がわからず、細かなミスを連発しても「慣れるまでは誰でもそうよ。気にしてちぢこまったりせず、自分を信じて、のびのびやりなさい」となぐさめ、黙って早紀の尻拭いをしてくれた。

 奈津は「強力なコネで営業に抜てきされた」と言っていたけれど、橘は、コネなしで入社したほかの同年代の男性社員たちの誰よりも遥かに優れ、何倍も働いていた。どんなに忙しくても笑みを絶やさず、常にたおやかな橘のたたずまいには、心から憧れた。

 実際の年齢よりも若くみせようとせず、40代半ばの大人の女性としての魅力を自然に醸しだすメイクや着こなしには「女は若いほどいい」という日本の幼稚な文化とはちがい、大人の魅力を重視するアメリカの大学に留学していた経験からくる自負のようなものが感じられた。

 そんな橘のもとで働けることを、早紀は誇らしく思っていた。

 けれど、今日の彼女はちがった。

 会社を出て、ビジネスパーソンと学生と観光客とでにぎわう大通りを歩いているあいだじゅう、彼女はまくしたてた。

 「わかってるとは思うけど、うちにとっては、大手のSCに初めて食いこめる、またとないチャンスなの」

 SCとはショッピング・センター(Shopping Center)の略語だ。ここ数年、スポーツアパレルも含めて、アパレルメーカーが最も取り引きしたい相手は、百貨店ではなく、駅ビルや郊外で展開しているSCだった。

 百貨店との商売では、売れた商品の定価の何割かを相手に納めなければならない。しかし、SCとのビジネスでは、売り場面積に対する固定家賃と売上歩合を支払えば、残りの売り上げはすべてメーカーに入る。

 売れなければ赤字になるが、売れれば、百貨店との商売とは比べものにならない高額の収益を上げることができる。

 最近の百貨店がスポーツ関連のビジネスに消極的という傾向もあって、いかにSCとのビジネスを増やせるかが、業界全体の大命題となっていた。

 いま、二人が向かっているのは、ここ数年、都内だけなく、全国の主要都市に急速に勢力を広げる大手SCなのだから、この案件の重要性は、営業1課に移って数カ月しか経たない早紀にもじゅうぶん理解できた。

 だからこそ、戸惑っていた。

 早紀がこの会社に入ったのは、どうせ身を粉にして働くのなら、せめて大好きな「スポーツ」に関わる仕事がしたいと考えたからだった。

 もらえる給料分に見合うか、できればそれ以上の結果を出すために、全力で働いてきた。

 けれど、出世したいとか、できるかぎり上のステータスを目指したいなどとは思わなかった。少しでも会社の役に立ち、日々の暮らしが充実すれば、それで満足だった。

 なのに、なぜ、それほど重要な案件であるにもかかわらず、橘は、まだ営業経験の乏しい自分を選んだのだろう。

 優秀なベテランの男性営業員たちはいくらでもいた。もし“お飾り”として女が必要なら、早紀よりも若いが経験は豊かな女性営業員も数人いた。

 最近、やっと1課の部員から仲間として認められ始めたというのに、もし、このことが知れたら、やっかまれ、うとまれるのは目に見えていた。

 橘は、あたりで最も背の高いビルのエントランスに入ると、大理石のカウンターに歩み寄り、受付嬢に社名と訪問先を告げ、来客用の胸付け名札を受け取り、一つを早紀に手渡しながら、エレベーターホールへと急いだ。

 「いいこと? 今日は先方から急にアポが入ったからしかたないけど、これからは、いついかなるときでもクライアントに会いに行けるよう、もっと服装には気をつかいなさい」

 橘は、きれいに手入れされた指先で、上りのエレベーターを呼ぶボタンに触れた。

 「申し訳ありません」と答えたが、早紀には納得できなかった。

 スポーツアパレルの社員の特権の一つは、爽やかさと清潔感さえあれば、いい意味で「スポーティ」、悪く言えば「ラフ」な格好でも許されることだ。

 社員全員が駆り出される催事では、男女関係なく、大きなパッキンや重い什器を運ばなければならない。ヒールの高い靴や足にまとわりつくロングスカート、動きづらいタイトスカートなどでは、仕事にならない。

 「いいこと? 女だからってなめられたくないとか、女として評価されたくないとか、そんな甘いこと言ってたら、営業の仕事は務まらないの。男には逆立ちしてもできないことを武器にしなさい。細かいところまで手が届くとか、誰に対しても気配りできるとか、そんな内面の利点は当たり前のことよ」

 橘は、苛立たしげに、何度もボタンに触れた。

 「女にとって最強の武器は外見よ。タイムリミットが迫ってカリカリしていても、そばにいるだけで癒してあげられるとか、誰もがへとへとに疲れているときは、その場を少しでも華やかに演出できるとか……見た目だけで相手をときめかせる存在になれるよう、女としての自分をもっと磨きなさい」

 早紀は小さくうなずいたが、言葉を発することはできなかった。

 男に媚びることなく颯爽と仕事をこなす憧れのミス・パーフェクトが、いまは「女を武器にしろ」と勧めていた。

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Profile
佐宮圭(さみや・けい)
作家。1964年兵庫生まれ。早稲田大学第一文学部人文学科卒業。アパレルメーカーの営業、花屋の社員を経て、1993年3月、フリーランスの編集兼ライターとなる。子ども向けの科学雑誌や『文藝春秋』『週刊朝日』などで活躍。2010年、『さわり - 女として愛に破れ、子らを捨て、男として運命を組み伏せた天才琵琶師「鶴田錦史」その数奇な人生』で第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。
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