日仏で活躍するフランス料理のシェフ・松嶋啓介氏。若くして達成した偉業の裏には、確かな観察眼と深き思慮があった。インタビューを通じて料理の世界と、ビジネス全般にも共通する成功の筋道を探った。

前回からの続き

 修行で入ったレストラン、渋谷の「ヴァンセーヌ」を仕切る酒井一之シェフのデスクには、料理に関する本が数多く並べられていた。

 松嶋はそれを読んだ。学校で教えてもらったことと、違うことが書いてあった。

 「自分の都合のいいように勉強していました。完全独学です(笑)。

 フランス料理はその当時、ソースが決め手だと言われていたんです。そして、酒井シェフは『フランス料理は地方料理の集合体だ。フランス料理はそのシェフがどこで生まれたかというのがまず大事だ』ということを言っていました。

 そのことが、僕の料理を考える上では欠かせない思考になったんです」

 ある時期を境に、厨房の先輩が頻繁に遅刻するようになった。遅刻をした日、その先輩は店のオープン前に済ませるべき下準備を怠った。次第に、松嶋が代わりに準備をするようになった。

 遅刻をしてきても平然としている先輩の態度に嫌気がさした松嶋は、一悶着をおこす。

 「やることをやらないで威張り散らしているような人と一緒に働くのはあり得ないと思いました。

 一方でその頃には、基本的な肉と魚だけは下ろすことができるようになっていました。

 『ここで歯を食いしばって我慢するよりも、もっと早く、本場の技術を学ぼう。日本で働いていたらダメだ』って本気で思えたんです」

 理不尽なことが積み重なり、松嶋は店を辞めることを決意する。

 その後、渡仏のための資金をつくるため、都内のホテルで数カ月アルバイトをした。

 十分な資金はないし、コネもなかった。

 「唯一あったのは、『セルフィティカ』という修了資格証書を、フランスにネットワークをもつ酒井シェフに書いてもらえたことです。フレンチのシェフが発行してくれる保証付き証明書のようなものです。これを持っていると信用度が上がるとされているので、これが頼りでした」

 確固たる自信はなかったが、とりあえず肉と魚は速く下ろせる。

 むしろソースの作り方などはフランス人から直接学んだ方がいいと考えた。よりフランス的な感覚を身に付けられるからだ。

 こうして松嶋はフランスへと向かうことになった。松嶋が20歳の時だった。