1986年生まれのアラサーコンビ、ハライチ。幼稚園からの幼なじみの二人ですが、親しみやすいキャラクターの澤部さんから売れっ子になっていきました。ずっと一緒にいた幼なじみなのに、売れ方に差が出てしまった「格差コンビ」――。しかし、水面下では逆転の兆しも。お笑い評論家のラリー遠田さんが分析します。

高校生のときに、高校生向けのお笑いコンテストで優勝したことも (C) PIXTA
高校生のときに、高校生向けのお笑いコンテストで優勝したことも (C) PIXTA

 お笑いコンビが世に出るときには、二人一組で売り出されるのが一般的です。「M-1グランプリ」「キングオブコント」などの賞レース番組で目立った活躍をしたりすると、そこで披露したネタを他の番組でもやってほしいと声が掛かるようになります。さらにこの段階で結果を出して認められると、ネタ以外の仕事でもテレビに呼ばれる機会が増えていきます。

 ところが、ここから先はいろいろなケースがあります。一般的には、お笑いコンビが二人セットでテレビに出続けることはあまりなく、片方だけが単独で呼ばれることが多くなっていきます。ビートたけしさん、島田紳助さんはその先駆けと言ってもいいでしょう。彼らは1980年に起こった「漫才ブーム」の頃にそれぞれ別々のコンビで活動していましたが、次第にピンで出ることが多くなり、それが定着していきました。

 現在、そんな「格差コンビ」の典型ともいえるのがハライチです。岩井勇気さんと澤部佑さんは幼稚園から中学校まで一緒の幼なじみでした。「ハライチ」というコンビ名は、二人が生まれ育った埼玉県上尾市の「原市」という地名に由来しています。彼らは高校生のときに高校生向けのお笑いコンテストで優勝。そこからプロの芸人になりました。

 彼らが注目されるきっかけになったのは「ノリボケ漫才」と呼ばれる新しい形の漫才を演じたことです。岩井さんが響きが近い単語を矢継ぎ早に澤部さんに投げ掛けていきます。例えば、「学生時代に部活のエース的な存在はモテた」という話題では、「野球部のエース」から始まって、「駅前のコーポ」「針金のアート」「縦笛のセール」などとどんどん脱線していきます。

 岩井さんに何を言われても、澤部さんはツッコミを入れたりせず、言われた単語を文字通り受け止めて、それを全身で表現しようとします。脈絡のない単語の連発になぜか食らいついていく澤部さんの必死な姿が笑いを誘う革新的な漫才でした。