「一発屋」のブランドをつくった人物でもある

 さらに、有吉さんは、自分自身を猿岩石時代に一発当てただけの「一発屋」であるとして、同じような立場の一発屋芸人やその予備軍である後輩芸人に対して、再ブレークするための方法をレクチャーするような企画にも積極的に取り組んでいきました。

 これ以降、「一発屋芸人」という言葉が有名になり、一発屋芸人を集めて「ピーク時の年収と現在の年収」を聞くような企画がよく見受けられるようになりました。

 そもそも「一発屋」という呼び名がこれほど広まった大きな要因として、有吉さんが自虐的にそう名乗ったことが考えられます。

 有吉さんは「一発屋」というブランドの仕掛け人でもあったのです。

 有吉さんはその後、少しずつ司会業にも進出していきました。

 ひな壇で活躍する芸人は数多くいますが、司会として番組の中心に座ることのできる芸人はその中でもほんの一握りです。

 司会を務めるにはそれなりの「格」が必要だからです。

 人気、実力、実績、イメージなど、あらゆる要素が高いレベルで備わっている人でなければ、司会を任されることはありません。

 有吉さんは、再ブレークしてから短期間のうちにそこに上り詰めたのです。