どこか不器用、道を踏み外す弱さも醸し出す

 ただ、長谷川さんがずっとエリート役をやっていたわけではありません。その後も長谷川さんは2011年には「鈴木先生」で妄想を暴走させる教師を演じ、「家政婦のミタ」でも、父親であるという役割にどこか距離を置いてしまう人物を演じました。

 その路線はしばらく続き、「雲の階段」では、無免許医師を演じます。この役も、完全な悪人ではないし、人に何か言われると、そこに流されてしまうような弱さがあり、その弱さからさまざまなことに巻き込まれてしまい、周囲の人間も、自分のことも追い込んでしまうところのある役でした。

 思えば、長谷川さんというのは、外見からはインテリジェンスが感じられるし、教師や官僚、医師(これはなりすましなわけですが)なのに、その中身は、かなり揺れていて、知らず知らずのうちに道を踏み外してしまう弱さがある、という役をかなり演じてきたわけです。

 この弱さのあるキャラクターは、2015年のドラマ「デート~恋とはどんなものかしら~」や2016年のドラマ「夏目漱石の妻」にもつながっていきます。

 「デート」では、自らを「高等遊民」と名乗る谷口巧を演じました。この役は、学生時代まではスポーツ万能、成績優秀であったものの、就職活動で壁にぶつかり、以来、家に引き籠もって読書や映画鑑賞ばかりしている人になってしまい、交流しているのは母親と工務店を経営する幼なじみの島田宗太郎(「シン・ゴジラ」でも共演した松尾諭)のみという人物。そんな彼がお見合いで知り合った依子と出会い、変わっていく様子が描かれました。

 また、2016年の「夏目漱石の妻」では、「デート」で巧が憧れていた人物そのものである夏目漱石を熱演。そもそも「高等遊民」という言葉は夏目漱石が使っていたものでもあります。また、ここでも松尾諭さんが住み込みの書生として出てきました。このドラマの中の漱石の人物像も、周囲に対して理不尽を尽くすも、見ていてどこか不器用で、そんなふうにしか生きられないのだなと思わせる役でした。これも長谷川さん以外が演じたら、良いところも悪いところもひっくるめて人間的で愛すべき人だという漱石の複雑さがここまで伝わらなかったのではないかと思えるほどでした。