育休や介護、転職や仕事での失敗がキャリアの転機に

金澤さん:ご自身のキャリアを形成する上で、ターニングポイントになった出来事を教えていただけますか。

小原さん:私は1回目の転職のときでしょうか。新卒で入社した情報通信系企業で配属されたのは「事業部制」を敷いている部門で、環境もメンバーも、またお客様も比較的固定化されていました。部署異動は入社3年目以降でないとできなかったため、少し飽きっぽい性格だった私は、変化の少ない環境で働くことに漠然とした不安と疑問を抱くようになりました。

 そんな中、何気なく転職サイトを見ていたら、「プロジェクト制」という働き方があるということを知りまして、そうした仕事ができる外資系コンサル企業への転職を決意したんです。この「プロジェクト制」という働き方との出会いが、一つのターニングポイントでしたね

 ただ、新卒入社時から現在に至るまで変わらないのは、自分に身近な仕事がしたい、という考えです。なので、いずれの企業でも公共事業にかかわる仕事ができる部門で働いてきました。公共サービスは自分にも返ってくるものですから、私自身も楽しく仕事ができるのだと思います。

遠藤さん:祖母の介護経験が一つのターニングポイントですね

 私がちょうどロンドンから帰った頃に祖母が倒れまして、故郷である仙台に帰ったんです。介護をしている間は社会との接点が本当に少なくて、世間から取り残されていくような恐怖を感じていました。そんな中、小児科の医師をしていた母がセミリタイアすることで私は仕事復帰できるようになり、その時に「仕事ができるってがありがたいな」とつくづく感じたんです。そう思ってからは、生きるのが楽になった気がしますね。

 また、NPOの 国連WFP協会では、一般企業を勤め上げたベテランの方たちを20名ほどボランティアとして採用していたのですが、経験豊かな方たちにどうしたら気持ちよく働いてもらえるか、未熟な私がどう向き合えばいいか、といったことを学べたことも大きかったですね。

4人の先輩のキャリアの転機の話を真剣に聞く参加者のみなさん
4人の先輩のキャリアの転機の話を真剣に聞く参加者のみなさん

鉄さん:私は、以前は野村証券で債権トレーダーとして働いていまして、忙しくも充実した日々を送っていました。そのうちに結婚し、妊娠して産休・育休に入ると、もちろん子どもは大好きなんですが、社会から離れた場所にいることに寂しさを感じてしまったんですね。それなら何かしようと思い立って、後輩も誘ってファイナンシャルプランナーの資格を取るための学校に行くことにしました。

 無事ファイナンシャルプランナーの資格を取得できたので、債権トレーダーとして働いていた野村証券を一度退職し、同じく野村証券のファイナンシャルアドバイザーの求人に応募をし直しまして、無事再就職することができ、今に至っています。

藤原さん:カルビー入社後、初めて担当した商品が1年で発売終了になってしまったことが私のターニングポイントですね。そのときはあまりに辛くて、この転職は間違いだったんじゃないかとまで思いました。ビジネスというのは、スタートすることよりもクロージングするほうが大変なので、当然ながら製造現場や営業などいろんな方にお叱りを受けましたが、そんな中で、自分が招いた結果を素直に認め、誠意を持って問題に向き合うことが大事なんだということを痛感させられました。

 そんなことがあってしばらく社内失業状態だったのですが、あるときに「フルグラ」の特命プロジェクトの話をいただきました。もしこれが大失敗したら、自分のマーケティングキャリアそのものがなくなるという恐怖もありましたが、勇気を振り絞って参加した結果、なんとか1年で成果を出すことができ、ここまで来ることができました。