捕鯨問題を扱った長編ドキュメンタリー映画「おクジラさま ふたつの正義の物語」が公開され話題を呼んでいる。監督は、ニューヨーク在住の佐々木芽生さん。硬派なジャーナリストと思いきや、その人生の出発点は誰もが経験しそうな「目的がなくただ遊んでいた」という学生生活。仕事選びに失敗し、インド放浪の旅に出た佐々木さんが、ニューヨークという町と出会い映画制作に至るまでの道のりを聞いた。

佐々木芽生(ささき・めぐみ)

映画監督・プロデューサー。北海道生まれ。フリーのジャーナリストを経て、1992年よりNHKアメリカ総局勤務。「おはよう日本」にてニューヨーク経済情報キャスターを務め、その後独立して、テレビの報道番組の取材、制作に携わる。2008年、初の監督作品「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」を発表。世界30を超える映画祭に正式に招待され、米シルバードックスドキュメンタリー映画祭、ハンプトン国際映画祭などで、最優秀ドキュメンタリー賞、観客賞など多数受賞。2013年、続編にあたる映画「ハーブ&ドロシー2 ふたりからの贈りもの」を発表。2016年、3作目に当たる長編ドキュメンタリー映画「おクジラさま ふたつの正義の物語」を完成させ、同年釜山国際映画祭コンペティション部門に正式招待された。日本では2017年9月より全国順次公開。著書に同映画制作の舞台裏を書いた「おクジラさま ふたつの正義の物語」(集英社)。

 今、私はアメリカ東海岸のニューヨークを拠点に活動をしています。ニューヨークに住むようになって、今年でちょうど30年目。でも、実は初めて訪れたアメリカは大嫌いでした。

 最初にアメリカの地を踏んだのは、17歳のとき。高校の交換留学制度で米中西部のアイオワ州に行ったんです。学校があった町は人口3000人ほどの本当に小さなコミュニティーで、みんな、外国人の私をお客様として温かく迎え入れてくれました。でも、常に見られている感じがして息が詰まりました。それに、あまりにも世界のことを知らな過ぎるんです。

 私がジーンズとTシャツを着ていると、「そんな格好で大丈夫?」と聞く。「え?」と言ったら、「日本人はみんなキモノを着るものだと思っていた」とか真顔で言われる。日本車のホンダに乗っているのに、日本では人力車を引いていると思っている、とか。ピザチェーンのシェーキーズは「日本にもあるんだよ」と言ったら、「日本にもピザがあるけどトッピングは刺身」と地元の新聞記事に書かれる、とか。もう、めちゃくちゃな感じで。自分たちの住む狭い地域のことにしか関心がないんです。

 帰国してから、しばらくアメリカは行きたくないなと思いました。

遊びながら何かが満たされていなかった

「大学生のときのいい思い出がなくて。実は大学を卒業していなかった、という夢を見て夜中にぱっと起きてしまうこともあります」
「大学生のときのいい思い出がなくて。実は大学を卒業していなかった、という夢を見て夜中にぱっと起きてしまうこともあります」

 「英語はもういい」と思って、大学は青山学院大学のフランス文学科に進みました。目指すものもなく、大学生のときは六本木のクラブとかで、ひたすら遊んでいましたね。ぱっぱらぱーな感じ(笑)。バブルの頃で、アルバイトは晴海(※編集部注:当時は大イベントの主会場は晴海だった)で行われるイベントのコンパニオンとか。

 将来何をやろうとか、何がやりたいとか全く考えてなくて。でも、遊びながら何かが全然満たされていないと感じていました。

 大学生の頃の記憶は、ぽっかり抜けているんです。時々、実は自分は大学を卒業してなかった、みたいな夢を見て、夜中にぱっと起きることがある。目が覚めると、汗だくになっていて、私ってもしかして高卒なんだっけ、大学に行こうと思って行けなかったんじゃなかったっけ、って。遊び過ぎて、実は卒業してなかった、みたいな。

 いい思い出が、ないんですよ。

 テストがものすごく難しいことで有名な18世紀フランス文学の先生がいて。先生は嫌いだったけど、すごく勉強してテストを受けたことがあったんです。そうしたら、難しくなかった。でも、周りの友達は全然勉強していないから、試験のとき「メグ、見せて」とか言われて、答案用紙をなにげなく周りの人に見せたりしていたんです。そうしたら、私がカンニングしたって言いがかりをつけられた。

 私の答案は満点近かったんですが、「僕のテストでこんなに高得点を取れるはずがないんだ」と言って、点数を半分にされてCを付けられました。もう、権力とはどんなものかという原体験ですね。悔しいけど、何もできなかった。