今回紹介するのは、野生動物の研究者。日本と南米アマゾンを行き来して、世界でも希少な水生哺乳類マナティーを研究している菊池夢美さんだ。研究者と聞いて、好きなことを楽しんでいる羨ましい職業だと思う人も多いだろう。ところが彼女の人生は、信じ難いほどの困難の連続。やりたくても方法がない、「無理だ」と押さえつける先生という名の上司、博士号を取っても無職や契約雇用という不安定さ。うつ傾向やストレス性じんましんになりながら、それでも諦めない姿には、仕事への向き合い方のヒントがきっとある。

南米のアマゾンで希少動物マナティーを研究
京都大学野生動物研究センタープロジェクト研究員 菊池夢美さん
第1回 周囲に「無理、やめろ」と言われ続けた36歳の研究者
第2回 研究者・菊池夢美 願いがかなった直後に襲った出来事(この記事)
第3回 一度は転職も考えた 野生動物研究者の、諦めない理由(7月26日公開予定)

菊池夢美さん年表
1981年 東京・杉並区に生まれる
18歳 獣医学部の入試に失敗
19歳 日本大学生物資源科学部動物資源科学科に入学
20歳 沖縄美ら海水族館でマナティーに出合う
23歳 東京大学大学院農学生命科学研究科修士課程に入学
28歳 東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了(農学博士)、無職に
   東京大学 水産資源学研究室に農学特定研究員として所属(求職中)
   同年に結婚
30歳 国立研究開発法人水産工学研究所 CRESTプロジェクトに参加
32歳 京都大学野生動物研究センター JICA/JST SATREPSプロジェクトに参加、在職中
36歳 一般社団法人マナティー研究所を立ち上げる

やることを失い、助けもない

 大学を卒業した私は、大学院の修士課程に進むことを選びました。マナティーの生息地で研究を行うフィールド調査がしたかったからです。東京大学の大学院を選んだのは、お世話になっていた研究員の方に、「やりたいことがあるなら、なんとなく手の届くところじゃなくて、日本一のところに行かなくちゃダメだ」とアドバイスされたから。単純な私は、日本一といえば東大だと思ったんですね(笑)。

 私の入った研究室では、先生が、東南アジアのジュゴンを対象にバイオロギング手法を使った研究をする学生を探していました。それは、動物の体に小さな機械を付けて、ありのままの行動データを動物自身に記録してもらうという手法です。それこそ、私のやりたいことでした。対象はジュゴンでしたが、これをしながらマナティー研究への足掛かりを探そうと思ったんです。ところが、大学院に入ってすぐ、そのジュゴンの研究が諸事情で中止になってしまったんですよ!

 研究テーマをなくした私は、修士課程の1年間、ひたすらマナティーの論文を読んでいました。相談したくても、研究室の先生は海外出張で不在がち。自分でなんとかしようと、読んだ論文を書いた外国の研究者たちに「私にできることはないでしょうか」とメールを送りましたが、誰一人返事をくれませんでした。

「研究者は忙しいので、実績もないヒヨコ学生なんて相手にする暇はなかったのでしょうね。でも私は同じ事があったら、必ず返事をしようと決めています」
「研究者は忙しいので、実績もないヒヨコ学生なんて相手にする暇はなかったのでしょうね。でも私は同じ事があったら、必ず返事をしようと決めています」

先生に見放され、健康診断で「うつ傾向」に

 このままではさすがにまずいと思った私は、どんな動物でもいいからと、先生から解析済みのウェッデルアザラシの赤ちゃんの行動データをもらい、自分で解析の練習を始めました。その解析で新たな発見ができたので、それを論文にして、どうにか修士課程を終えたのです。

 この2年間、やりたいマナティーの研究が全く進まず、私はすごくイライラしていました。ですから、思う存分やるためにも博士課程に進みたかったのですが、先生に受け入れを頼むと、メールでこんな返事が届いたんです。「博士課程ではきみを受け入れない。マナティーの研究は難しいし、面倒見られない」。さらには「きみはフィールド調査に向いていない」とまで書いてありました。

 すごく腹が立ったと同時に、私は猛烈に落ち込みました。ちょうどその頃、学内で健康診断があったのですが、ストレス検査で「うつ傾向」という結果が出たほどです。病院の心療内科への通院を勧められましたが、私のこの根本的な問題は、病院で解決できるようなことじゃありません。あの頃は、朝目覚めるたびに、ほんとうにつらかったですね。

 大学の保健室では、「研究テーマを変えたら?」と言われ、薬を処方されたんです。「気持ちが落ち込んだときの薬です」って。私にはちっとも効きませんでした。