プロフェッショナルのチーズ専門家「フロマジェ」として活躍している村瀬美幸さん。もともとは、ANAの客室乗務員だった。子どもの頃から世界に憧れ、夢かなえた職を手放した理由は、自信のなさだったという。自分の存在意義に悩み、自問自答を繰り返しながら、興味に導かれてたどり着いたのがチーズの世界。「日本人がチーズの何を知っているの?」という完全アウェーで世界一のタイトルを手にするまで、はじける笑顔の裏に何があったのだろう。

◆フロマジェ、ザ チーズルーム アカデミー副校長 村瀬美幸さんインタビュー
第1回 夢の職に就けた…けど自信がない キャリア捨てたCA(この記事)
第2回 CAからチーズのプロへ「世界2位では駄目と知った」 4月19日公開予定
第3回 「何になるの?」と言われていたお稽古事で、世界一に 4月26日公開予定

子どもの頃の夢をかなえて、客室乗務員に

村瀬美幸
全日本空輸株式会社での国際線客室乗務員、田崎真也ワインサロンでの講師、支配人などを経て、2013年4月に、チーズを楽しく学ぶ「ザ チーズルーム アカデミー」をオープンする。同年6月第1回世界最優秀フロマジェコンクールで優勝し、世界一に。日本チーズアートフロマジェ協会副理事長。著書に、「村瀬美幸のごちそうチーズクッキング」(草思社)、監修本に「10種でわかる世界のチーズ」(日本経済新聞出版社)などがある。

 私の最初のキャリアは、全日空の客室乗務員でした。当時はまだ、スチュワーデスと呼ばれていた職業です。目指したきっかけは、高校生の頃にはやっていたテレビドラマの「スチュワーデス物語」。堀ちえみさん演じるスチュワーデス訓練生が「私はドジでのろまなカメです!」と言いながらも、懸命に努力して一人前の客室乗務員になる物語が胸に響き、自分もなりたいと憧れていたんです。

 岐阜県本巣市の田舎町で育った私は、子どもの頃から広い世界に引かれ、小学4年生で英会話教室に通い始めて、いつか海外に行きたいと夢見ていました。それを実現させたのは高校3年生の時。1年間休学して、アメリカのウィスコンシン州へ交換留学したんです。思い切った決断に周囲は驚きましたが、私はただ英語がうまくなって、世界の人とコミュニケーションが取りたいという一心でした。その時の出願書にも、「将来なりたい職業:スチュワーデス」と書いていたんですよ。

「世界の人とコミュニケーションが取りたかった一心で、留学を目指しました」
「世界の人とコミュニケーションが取りたかった一心で、留学を目指しました」

 帰国後、同級生から1年遅れて卒業すると、私は上智短期大学に入学しました。故郷では、高校時代に留学するなんて特別なことでしたが、短大に入ったら、周りはそんな人ばかり。航空会社を志望することも珍しくなくて、背の高い女性は、みんな取りあえず航空関係を受けていました(笑)。

 こうして夢かなって入社したのが全日空。私は国際線の客室乗務員(CA)として働き始めました。接客業という仕事は、毎日が変化に富み、とても楽しくやりがいがありました。 もともと幼い頃から人をもてなすことが好きで、家族や親せきにお茶を出したり、お菓子を作ったり、また、学生時代も友人に食事やお菓子を作ったりしていたので、機内でお客様にサービスをして喜んでいただくことが、何よりの喜びでした。機内でギャレーというキッチンも率先して担当していましたし、お食事をいかに熱々でお出しするか、一杯のお茶をおいしくお入れするかなど、楽しんで働いていました。

憧れのCAになった村瀬さん。文字通り、世界を飛び回っていました 提供/村瀬美幸
憧れのCAになった村瀬さん。文字通り、世界を飛び回っていました 提供/村瀬美幸

 同時に、CAの仕事は非常に厳しい世界でもあります。例えるなら、体育会系の部活みたい(笑)。先輩方から受ける教育もお客様の安全を守るための訓練もとても厳しく、この世界でやっていけるのかと不安になることもよくありました。それでも仕事が楽しくて、11年間勤めたのですが、ある時私は全日空を辞めることにしたんです。理由は二つ。一つは、CAの仕事はやり切ったという思いがあったこと。そしてもう一つは、私にはなんというか……自信がなかったんですよ。