山奥の村で、村人参加の図書館造り
ある時、知人のテレビディレクターが「モン族の民話の番組を作りたい」と言うので、その村を紹介し、取材班と共に2週間ほど滞在したんです。そのメンバーの中に、武内太郎さんという方がいました。
太郎さんはその村をとても気に入り、「もう一度戻ってきたい」と言っていたのですが、その後、交通事故で亡くなってしまったんです。すると太郎さんのお母様が、「息子の好きなその村に図書館を造ってください」と、そのためのお金を寄付してくださったんです。
それまでも、モン族の村に図書館を造りたいという思いはありました。でも、建物に本を置いておくだけじゃ図書館はうまくいきません。やるからには相当な覚悟がいると思い、実現できずにいたんです。でもそのとき、貴重なお金を頂いて、「やらなくちゃいけないな」と覚悟が決まったんですね。
変わり者は変わり者と出会うもので、チベットの村で学校を造っていた日本人の青年と知り合い、誘ったら「やってもいいですよ」と、モン族の山奥で村人参加の図書館造りが始まりました。小さな建物なので、2~3カ月程度でできると思ったら、とんでもない。山の木を切ることから始まり、材木が手に入るまでに4~5カ月かかっちゃったんです。
土壁は、村の土を水牛に踏ませ、混ぜるワラは子どもたちと用意。砂利を買おうとしたら、「そんなものは取ってくればいい」と、女性たちが鉄の棒で山の岩を細かく割ってくれました。隣村まで竹を切りに行ったときも、「竹を縛るひもを忘れた」と言うと、子どもたちが山へ入って植物のつるを採ってくるんです。「ないものは買う」という発想しかなかった私は、「モンの人って、自分でできることは自分でやるんだな」と感心しました。建物ができるまでに2年、山の村のモン族の家族にお世話になって生活しました。
こうして2007年4月、ついに「たろうの図書館」がオープンしたのです。
私は、しばらくは一緒に図書館で働いていましたが、ずっと村に住むわけにもいきません。村人を図書館員として育てたら日本へ帰り、たまに見に来るつもりでいたんです。ところが、図書館を造り始めて2年目のある日、後に夫となるラオス人男性と出会ってしまったんですよ(笑)。
*第3回に続く。
聞き手・文/金田妙 写真/稲垣純也
第1回 就活を辞めてラオスへ! 移住し図書館を設立した女性
第2回 組織は私に向かない―ラオスで図書館造りに夢中の日々(この記事)
第3回 43歳の私に年下のラオス人がプロポーズ その結果… 3月29日公開予定