私が「バカだと思われたくない」を克服したプロセス

 例えば私の場合「バカだと思われたくない」という思いが極端に強過ぎて、分からないことを分からないと言えないという状態が長く続きました。そのため、聞けば3分で解決する仕事の問題についてなかなか質問できずに3時間も問題をこねくり回すということをしていました。

 私は小さい時、担任の先生に授業中に皆の前で「IQが低い」と言われたことを長い間気にしていて、「バカだと思われる」ことを極端に恐れていたのです。大人になった今考えてみると、担任の発言は問題だと思います。今は克服しましたが、言われてから10年以上も引きずり、ちょっとしたきっかけですぐに「バカだと思われたくない」という理由から行動が制限されてしまっていました。

 バカだと思われたくないから、人前で自分の考えを言えません。会議やディスカッションの場でも、何かかっこいい、知的で有用なことを言わないとバカだと思われてしまう、と口を閉ざしました。「何か質問はありますか?」と聞かれて、聞きたいことがあっても「そんなことも知らないの?」と思われるのではないか、と思うと怖くて聞けませんでした。そのくせ、質問をした人が論点がずれたことを言っているとき、心の中で「そんなことも知らないの?」とちょっとばかにしているような、ひねくれたところがありました。

「思ったことをすぐに言える人が優秀」だった

 この状態から脱却したきっかけは、当時会社の役員だった上司の一言「もっと、心に最初に感じた素朴な疑問をそのまま口に出すようにしなさい」というものでした。私は「賢い質問をしなければできる人だと思われない」と思い込んでいましたが、上司の考えは逆で「素朴な疑問をそのまま発することができるのが、本当にできる人だ」という考えだったのです。

 私にとって大きなパラダイムシフトでしたが、この視点で周囲を見てみると、確かに仕事ができる人、仕事が速い人は自分が知らないこと、助けてほしいことを気軽に口にして、助けてもらいながら自分をどんどんアップデートしていたことに気付いたのです。

 この出来事があってから、「このまま、分からないのに分かったふりをして生きていくのは嫌だ!」と、腹をくくることができました。

 「私は何にも知らないから、ゼロから学ぼう!」と、分からないことを思い切って外に出すようになった途端、みんなが親切に教えてくれたり、「実は私も分からなかった」とこっそり教えてくれたりするようになり、悩んでいたのは自分だけじゃないんだ、と励みになりました。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥といいますが、まさにそれを実感した瞬間でした。「分からない」を「分からない」まま発信し、「分かる」ようになっていくというプロセスにこそ、成長があるのだと知りました。

 また、自分自身が守っている「理想の自分」なんてちっぽけなもので、それを捨てて、「それでもいいよ」と思ってもらえることへの安心感も得ることができました。