粟井:当時は日本語ブームだったので、卒業後、女子大で日本語を教えていたんです。そこで日本語学の教授と出会い、ティーチングアシスタントとして入学すれば授業料が免除になると聞いて。

A:意外に感化されやすい(笑)。

粟井:熱しやすく冷めやすい(笑)。25歳で岡山の実家に戻り、アメリカ大使館の外部団体である食肉業界の代表組織に就職が決まったので、東京へ。啓蒙活動から広報活動まで経験でき、忙しいけれど充実した毎日でした。中でも一番鍛えられたのは、交渉力。

A:そのスキルと英語力を買われてクリニークに転職された、と。

粟井:でも、現場経験ができる人という条件もありまして。面接のときにうっかり「機会があれば頑張りたい」とか言っちゃったんです。

A:それでBA(店頭のビューティ・アドバイザー)を! 大変そう。

粟井:家に帰ると疲れて立てないほど。有名百貨店に配属されたんですが、総勢38名の軍隊みたいな(笑)。忙しすぎて誰も教えてくれないから、自分で覚えるしかない。

A:期間はどれくらい?

粟井:最低1年~無期限と言われていました。ところが4か月目くらいから急に売れ始めたんです。

A:「朝、目覚めたら急に英語がしゃべれた!」みたいな。

粟井:ふふふ。そうなると、お客さまが戻ってくるのが楽しくなるの。当時のクリニークの勢いも重なって、私の売り上げが全国1位になっちゃったんです。で、使命感に燃えて、6か月連続1位まで。

A:辞めたいと思ったことは?

粟井:何度もありました。失敗も多かったし。でもそのたびに、尊敬する本社の方がタイミングよく声をかけてくれて。結局1年間BAを務めて本社に。現場にいると、広告の重要性もわかるし、何が効果的で何がダメか、はっきり見える。経験は無駄じゃないんです。

疲れを癒やすはずのアメリカ生活が一転、寮に入りMBAを取得。

A:それぞれのフェーズでいろいろ学ばれて。クリニークには何年いらっしゃいました?

粟井:7年です。30代後半にクリニークを辞めて、渡仏し、5か月間フランス語の勉強してからビオテルムに。イドラデトックスという製品の立ち上げです。“デトックス”をどう表現するかに苦心して、温泉上がりのツルツル、スベスベ感を打ち出したら、予想を超える大ヒット。

A:あれはセンセーショナルでした。

粟井:でもね、フランスのビジネスはアメリカとまったく違う。交渉が通用しない根回しの世界で。

A:わかる~。フランスは基本お友達文化だから。そして次がゲラン?

粟井:実は、その間に主人と一緒にアメリカに戻ったんです。私も疲れていたし、一軒家でのんびり暮らそう、と。でもやっぱり飽きちゃって、MBAを取りました。

A:無駄にしませんね(笑)。

粟井:45歳だったんだけど、州立大学の聴講生になって8か月の女子寮生活。これがまた面白くて。

A:いつもその場その場を楽しんでいらっしゃるのが、すごい。

粟井:で、ご縁があってゲランに。この会社は合理的なアメリカとフランス流の中間という感じ。5年半勉強させてもらったあとに、ファッションの通販メーカーでマーケティングディレクターを。ここではスタートアップの大変さと、コストのシビアさを学びました。