「女子」とは、死に至る病なのかーー。

 「女子をこじらせて」という鮮烈なフレーズを背負って世に現れ、女たちの深く疼く悲しい共感を集めた女性作家・雨宮まみさんが、40歳という、女がこれからもっとも自由になれるはずのステージに上った途端、事故で世を去ったと伝えられました。彼女の死に面して、多くの「女子」たちが、自分が彼女と同じ「女子」であることをいま一度思い出させられたのです。

 「女子」とはいったい何なのだろう。

女子とはいったい何なのだろう(C)PIXTA
女子とはいったい何なのだろう(C)PIXTA

 私たちはあまりにも不用意に、無自覚に、「女子」という言葉を使うことに慣れてしまいました。今年43歳になった既婚2児の母の私でさえ、実際には自分のことを女子だなんて1ミリも思っていない(思えるわけがない)にもかかわらず、「女子会しようよ」という友人の言葉にもはや何の疑問も躊躇もなく「いいね!」と返します。

 「貴様いつまで女子でいるつもりだ」と、これまた女たちの心に刺さるフレーズを引っさげて、瞬く間にスターエッセイストになった人もいます。もちろん、私たちはわかっているのです。30や40になって、自分たちがもはや「成人前の女の子」という本来の意味の「女子」のはずがないということ、そんな言葉で自分たちを呼ぶのはどう見たって馬鹿げているということも。

 でもなぜなのでしょう、「女子」はいかにも簡便に、そしてどこか心地よく、大人のはずの私たちの中に広がってきた言葉だとは思いませんか。

 先日、著書『女子の生き様は顔に出る』を刊行したとき、タイトルに「女子」を入れるにあたって、実は私には葛藤がありました。女性の中には「女子」という言葉への反感がある人がいることも嗅ぎとっていましたし、「女子」という言葉の使われ方、広がり方に、当の「女子」たちが実は腑に落ちていないのは、明白だったからです。

 みんな、自分たちを「女子」と呼びながら、本当はどこか自虐的だったり、あえての確信犯的だったり、「女子(笑)」という感じで冗談めいていたり、どこか落ち着かなかったり。しっくりきていないのではありませんか?

 みんなが使っているし、メディアにも散々出てくる「女子」。そういえば女子って誰のこと? 私も含まれているの? 私は自分を本当に「女子」と呼びたいの?

 流されるままに、自分たちの語彙となってしまったこの「女子」を、そろそろ見直してみる必要があるのではないでしょうか。