2017年は「これからの男らしさ」が語られる年になる

 2017年は、これまで女性活躍が重点的に語られ、ある程度の結果を出し始めたことからの揺り戻しで、男らしさとは何か、男とは何かが語られる年になるのではないか、私はそう思います。

男が男を掘り下げるときがやってきます(C)PIXTA
男が男を掘り下げるときがやってきます(C)PIXTA

 既存の男の生き方、「男らしい」生き方は本当に男たちを幸せにしてきたのかを、改めて検証する。なんなら、そんな「男らしさ」にノーを言い、自分たちの人生を自分たちで語るための語彙を模索する。

 そうやって「男が男を掘り下げる」とき、その傍らで「女が女を掘り下げる」作業も、一段と進むでしょう。「女子」なる呼称が私たちの中に流行ったのは、それが「魂のあり方」だからだと、先ほど言いました。ひょっとすると、男たちが自分たちの中に「男子」を見出し、いつのまにか「こじらせて」きてしまった事実に気づくのかもしれません。

 「女子」も「男子」も、自分たちの中に住み、小さい頃から一緒に育って来た、私たちの精神のとても柔らかくて素直な部分のはず。

 そこを病ませてしまうことなく、他の誰が何を言っても自分だけは自分を好きでいられる、他人の顔色ばかりをうかがってビクビクしない、そんな精神的な自立を果たした大人の女あるいは男を、これからの私たちは目指して生きたい。

 いいえ、高尚高邁(こうまい)なことなんか、本当はどうでもいいんです。

 とにかくどうしがみついてでも、自分自身を柔らかく死に至らしめてしまうほど嫌いにならないでいてほしい。微かな自己肯定感でもいいから、それを大切に大切にして生きていてほしいと、そう私は祈っているのです。

文/河崎 環 写真/PIXTA

◆変更履歴::本文を一部修正しました。(2017年1月5日)