女同士の付き合いはなぜマウンティングの場になりやすいのか

 女同士、気心も知れて話だって合う。まして同級生だったり同期だったりと、同じ場を共有していた過去があるならなおさらです。でもそういう女同士の関係を「女同士だからこそ行き詰まる」と考えて苦手意識を持つ人もいます。

 「女同士はつい比較し合ってマウンティングが発生する。それが女という生き物だから」と言うのです。確かに、なぜでしょう、女友達や、職場の女性同士のグループで、やたらと相手の身調べをして比較優位に立とうとする言動が散りばめられ、「あれ? これもしかしてマウントされてるの?」と感じる瞬間が確かに存在する。そして割とまともに食らってヘコんでいる自分がいる。

 マウントを取る取られるを繰り返して、女のコミュニティーの中に暫定の上下関係――ヒエラルキーマップができる。会話の中の自虐や自慢は、結局そのマップづくりのため……。同性で年齢も近かったりすると、自分の人生ロードマップの「進度」や「成功度」を確認するために、他の人はどうかなと他人の進捗状況を調べたりするのですよね。そして、自分よりも進んでいたり成功していたりしたら嫉妬する。自分よりも歩みが遅ければ安堵する。結局、人を自分よりも持ち上げたりおとしめたり、自己確認のための作業なんです。

 なんでそんなことするのか、って? 人は皆、一人で生きるのは不安だからです。その不安をマウンティングという形でしか解消できず、自己確認できない、そういう人は女性でも男性でもいるのですよ。学校で、会社で、周りを見回してみれば分かるでしょう?

 「だから女(男)同士は」とそういうコミュニティーを避ける人もいれば、嫌気が差しつつ、でも自分が所属するベースはここなのだと、仕方なく受け入れている人もいるかもしれません。いずれにしても、「女はマウンティングする生き物だから」はちょっと違って、「人間はマウンティングする生き物だから」「そして、そこに自覚や自戒がない人がいるから」じゃないかなぁと思うのです。

 さて、では女同士や女友達とは、そうやって普段はお互いの腹を探り合いヒエラルキーをつくり合って、でもそこから逃げられなくて、彼氏や結婚や出産をきっかけに「いち抜け」する関係なのでしょうか。