アラサー世代が考える「結婚の意味」

 格差、格差と刷り込まれた氷河期世代の私は、つい結婚というと「格差」とか「男の価値と女の価値の交換・マッチング」とか、依存とか寄生とか、結婚で変わる女のヒエラルキーとか、なんかもう、ネガティブワードがあふれるんです。それくらい、氷河期世代にとって結婚とはサバイバル文脈で語られるものであり、どこか切羽詰まった話題だった。「しーあーわーせー」なんてピュアでふわふわキラキラしたものではなく、「ドヤァ」「ケケケ」のようなダークな心の声が聞こえてくるような、そんな感じでした。

 ところが、です。ある現役女子大生が言いました。「だって女性も働くのが当たり前の私たちの時代は、家庭というものを持ちたいなら『夫婦共働き』がデフォルトですから」。そう、「ぼく働く人、あなた子どもを育てる人」のような社会契約による分業夫婦とは違う、人材同士のチームプレーに近いのが、現代の夫婦。

 なるほど、現代の結婚式というのは、人材同士が「コレだっ」と対等にチームを組みたいと思う相手に巡り合い、人生の共闘戦線を張って「これから二人でいい仕事してみせますよ! 皆さん一緒に、今日だけは私たちのためにお集まりいただき、はじけてパーティーしましょう!」と仲間や家族、つまり「みんな」を巻き込んで生涯戦友宣言する場。そこに振り掛けられる甘さのフレーバーは、その夫婦の趣味次第というだけで。

結婚式はみんなが楽しくなくっちゃ!(C)PIXTA
結婚式はみんなが楽しくなくっちゃ!(C)PIXTA

 ぺこさんとりゅうちぇるさんと「みんな」の一大結婚式は、確かにそんなメッセージを送っていたように思います。みんなで幸せになろうよ。だからインスタという発信・共有の道具を上手に使いながら、一世代前とは、意味の変わったブライダルブームが再来しているのです。

 まさにゼクシィ読者であろう「#プレ花嫁」というインスタハッシュタグの盛り上がりが示す、純粋に「かわいい、きれい、キラキラ」を期間限定で追求する彼女たちの一瞬の閃光(せんこう)。

 濁った私の目にはまぶし過ぎましたが。

 濁った瞳と心の私は、先ほどの駅で見かけたゼクシィ勲章女子の話を、つい意地悪な感じで「どう思う〜?」とアラサー、アラフォー女子の皆さんに聞いてみたのです。きっと「けっ」て感じで一刀両断してくれるんじゃないかな〜と黒い期待をして。ところが、返ってきたのは想定外の反応。