激しく非難した女性たちの心理

 25歳にもなれば「女の子」などという感覚を自発的に脱ぎ捨てる人も多いでしょう。社会人ならなおさら、世間知らずであることを薄笑いとともに許してもらえるような未熟な「女の子」ではない、社会の一員として十分に大人の女性であろうと志向するだろうと思います。

 ところがこれに、「オンナ脅しのセクハラCM」「時代遅れ」「まんまネットにいるおっさんの価値観」などと、激しい口調で女性ネットユーザーからの批判が沸き起こりました。CMの内容に特別ひっかかることもなく見過ごし、聞き過ごすことのできた層からは逆に、なぜそんなに激昂するのか理解できないとの声もあります。

 「女を年齢で脅すなよ」「マジキモい」「もう買わねぇ」なんていう、比較的若い女性たちと思われるネットユーザーの言葉の激しさに思うのは、脅されたと感じた女性たちは、「何か」に怯えたのではないかということ。人間が何かを激しくののしるとき、「怒り」の根本にある感情は「恐怖」だからです。必死に自分を守っているのです。

むしろ年齢と未成熟の特権にとらわれている?

 彼女たちは「25歳からは女の子じゃない」という言葉の、一体何に怯えたのでしょうか。

 化粧品のCMだということから、「社会通念が若い女性の外見に何かを期待して押し付けている」と感じて傷ついたのかもしれません。あるいは、今まさに自分が深層心理で「私はもうこれまで通りではいられない。変わらねばならない」と気づいていて、でも未知の行先への怖さも感じているところに図星を指され、現実を突きつけられたような恐怖を覚えたのかもしれません。もし私がその年代だったら、同じように「は? 上から攻撃された! マジキモい!」と具体的な根拠なく反発したかもしれません。

 何かに不快にされたり、気持ちをザラつかされたりしたとき、「なぜその感情が湧いたのか」とザラつきの中を自ら覗き込んでみると、何かの真実を見つけることがあります。

 「25歳からは女の子じゃない」という言葉に脅されたと怒った女性たちは、実は若く未熟な「女の子」であることには価値がある、弱い立場の「女の子」としてちやほやされることは特権である、と思っているのではないでしょうか。そして「25」に代表される、女性の数値的な年齢にむしろ非常に敏感で、反射的に反発するのではないでしょうか。そうでなければ「25歳からは女の子じゃない」とのフレーズに「年齢で脅すなんて」と怒る理由がないからです。